見出し画像

音楽と俳句

 音楽の三要素とは、音階(メロディー)、和音(ハーモニー)、律動(リズム)であるということを知ったとき、これは俳句にも当てはまるのではないかと思った。
まず音階である。これは言葉そのものである。言葉そのものが自ずから音階を持っていると思う。例えば、

をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

という句を声に出して読んでみると、実に滑らかに口舌を滑ってゆく感じがする。これは何故か。句の中のイ行の音「り」「り」「り」「き」「き」が句の節目節目で漢詩のように脚韻を踏んでいるのである。これが読んで心地良い理由である。音楽でいえば旋律の繰り返しにあたるので音楽性が高い句であるともいえるのではないか。
次に、和音である。これは季語の取り合わせと考えてみる。例えば、

水温む立たせて廻す陶の土  土生重次

という句で、詠んでいるものは、陶芸用の土を轆轤の上に立てているとだけしか言っていない。しかし、「水温む」という池や沼を想起させる一見関係のなさそうな季語の働きで、轆轤を回す作り手の濡れた手とその体温が陶土に移るような温かみまで伝わってくる。そしてそれが春の訪れまで読者に感じさせてしまうのである。季語の取り合わせることによって、句に表記されていないことまで表現することができるのである。音楽でいえば「ドミソ」のように三度ずつの音階を積み重ねるように、俳句では単旋律の言葉に季語を重ねることによって復旋律の表現ができるようになっているのである。もちろん、「動かない」季語を据えることによって成しうるもので、「動く」季語であれば不協和音になりかねないものでもある。
最後に律動である。これは五・七・五の定型のリズムにあたる。リズムは繰り返しであるから、読者も予定されたリズムを前提に句を読むことになる。例えば、

旅に病で夢は枯野を駈け廻る     松尾芭蕉

という句では、上五が6文字で字余りの破調であるが、五・七・五のリズムを予定していれば、6文字を三連符の2回繰り返しのように読むことで、決して字余りでもリズムを外れることなどないのである。
 斯様に俳句は音楽的な要素を多分に含んでいて、言葉という旋律を五・七・五のリズムに乗せて、季語を重ねた和音に調和させた文芸であるということができるのである。佳句とされるものは、これら音楽の三要素の特性が多分に活かされているという言い方もできるので、鑑賞や分析もまた楽しくなりそうである。

(俳句雑誌『風友』平成二十七年六月号)

☆トップ画像はお借りしたものですが、音符の数が偶然にも十七音になっています。びっくり。

(岡田 耕) 

いいなと思ったら応援しよう!