35歳花嫁、コロナ禍で「リアル会場+WEB配信」結婚式を挙げるまで【後編】
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85名中、41名の欠席
「菜子、本当にごめん」と、友達が長文のLINEと共に電話をくれる。
本当に行きたかったけれど、家族に猛反対にあったと。
こんな連絡がくる度に、その子との思い出が走馬灯のように駆け巡る。
「あの子は昔からいい奴で……」と夫に泣きながら話す。あの子も私もまだ死んでないから落ち着いて欲しい、私。
欠席が嫌だとかではなかった。みんな、本当に誠意ある言葉をくれた。
申し訳ないと思わせてしまったことが、とにかく申し訳なくて。
この頃、Twitterで「結婚式 コロナ」を検索すると
不穏なコメントばかりが並んでいた。
欠席されたことに怒っている新郎新婦。
この状況で招待されたことに怒っているゲスト。
いろんな考え方の人がいる中で、
どう思われているのかも不安でたまらなくなってくる。
式のコロナ対策の案内をあるグループLINEで流したとき。
1人から「検討します!」と返ってきただけだけで、そこには誰も何も触れないまま、連日コロナに関する噂話がはじまった。
ー「ところで、マスコミの知り合いから聞いたけど、4/1からロックダウンの可能性が高いらしいよ。みんなも備えて。」「やっぱそうなんだ!」「買い出しいかなきゃ!」「その情報私も聞いたから、本当だよ」
そして個別にパラパラと、テーブル全員から欠席連絡が来た。
これが一番キツかった。
首相は明確に否定していたけど、この頃4/1ロックダウンの噂が流れまくっていて、みんなその話に夢中だった。グループLINEから抜けたくて仕方ないけど、立場上そういう訳にもいかない。
全てがマイナスにしか受け取れなくなっていた。
自分の中でどんどん、黒い気持ちが広がっていく。
今まで私だって、数え切れないくらい結婚式に出てきたじゃん。
2次会幹事だって7回やった。めいっぱいお祝いした。
なのに自分の時には、祝われるどころか悪みたいな扱いになるの?
「不要不急」って何?結婚のお祝いは「不要不急」なの?
なぜ「自粛」なだけで、誰も補償してくれないの?
コロナについては散々調べた。3密を避けた方がいいのも、無症状者でも感染広げていくのも分かってる。分かってて最大限やるしかないんだよ。
父親が病気なんだよ。お姉ちゃんが自宅待機してくれてるんだよ。
家族みんなが集まるのは、もう、この機会しかなかったんだよ。
そんな、自分を守ろうとする醜い気持ちたち。
ああ、でも。
私の家族のことなんて、他の人には関係ないのだ。
今回ずらさなかったのは完全に私側の事情であったから
ゲストにはもちろん、夫にも、特に京都から来ていただく夫のご親族には、
申し訳なくて申し訳なくて仕方なかった。
なのに私に文句の1つも言わない、とても優しいご家族だ。
一番後悔したのは、2月に夫が「式、延期する?」と聞いたとき。
あの時に「家族だけで挙げる」という選択肢を検討しなかったことだった。
「挙げるなら、お世話になった人たちをみんな呼んで
今までの結婚式で一番良かった!って言ってもらえるような、
思わずSNSでシェアしたくなるような式にしたい」
そう思って準備し続けていたことが、完全に自分の視野を狭くした。
恥ずかしながら、家族だけで挙げる選択肢があの時本当に浮かばなかった。
「式を挙げる=みんなを呼んでいい式にする!」と思い込んでしまっていた。
そして良かれと思ったことが結果的に、みんなを苦しめることになってしまっている。
皮肉なことに、ロックダウンであれば
物理的に開催が不可能になるので、費用負担なく結婚式が延期できる。
欠席者が40人になったあたりで、夫に聞かれた。
「もしロックダウンか、開催か。自分で選べるならどちらがいい?」
「迷うけど……正直、ロックダウンかな」「俺も、そうかもしれない」
2人とも、精神的に参っていた。
決断のとき
ボロボロになりながらも、もう予約をしてしまっているので
ブライダルエステに行く。
この高額なエステも、もしかしたらロックダウンになって無駄になるのかもしれない。
寝不足だしご飯食べれてないし抵抗力も弱まってそうで、外に出るのも怖かった。
サービスのサプリを手で受け取って、水で飲み込むのも怖かった。
この頃にはコロナ感染にもかなり過敏になっていた。
施術が終わって社用携帯を見ると、着信が入っていた。
乾杯の挨拶をお願いしていた部長からだった。
ああきっと、欠席の連絡だ。すぐに折り返した。
「菜子、本当にごめんね」
「ギリギリに欠席だけは本当に辞めたかったけれど、
どうしても難しい状況になってしまった。本当に申し訳ない。」
「でも心からお祝いしているよ!忘れられない結婚式になるだろうし、ライターじゃん。菜子の言葉で、いつかこのことをネタにしようよ!」
すごくすごく、丁寧で、あたたかい言葉をくださった。
コロナ対応をしているスタッフ部門のトップみたいな方で、
立場的には、真っ先に欠席でおかしくない方だった。
でも同じ部門で、最後まで諦めずに出席しようとしてくれていたのはこの人だった。
「状況によっては、無理かもしれない。」何度も連絡をくれながら
ギリギリまで、粘ってくださっていたのがすごく伝わった。
それは立場ではなく、この方の個人としての人柄、
そして決断だなと思った。
こんなところで泣いちゃダメだ……と思いながら、
エステ店のメイクルームで、ボロボロと、泣いてしまった。
気を遣わせてしまって申し訳ない。
でもそれよりも、会社の立場や上司としてだけではなく
1人の人間として接してくれて、決断してくれたことに尊敬したし、
私もそういう人間でありたいと思った。
気配を察したエステ店員の方が、帰りがけ
「なんと言ったらいいのか分からないですけど、でも……
良い式になることを祈っています」と優しく声をかけてくれた。
部長は、決断してくれた。
欠席の方も出席の方も、ゲストはみんな決断してくれた。
私は、何を決断するの?
私は、何を大切にするの?
「コロナのせいで……」そんなことは何だって言える。
でも命令でない「自粛」なら、自分で決断する自由があるともいえる。
環境に右往左往して、いつまでもウジウジしている訳にはいかない。
もう賽は投げられているのに、
私自身が腹を括りきれていない。前を向けていない。
私も本当の意味で、決断しなきゃいけない。
私が大切にしたいこと
式を延期しなかった大きな理由だった、父のこと。
コロナ対策のお知らせも送ったけど、奥さんが読み上げても
「はい、はい」と流すだけで、ロクに聞いていないみたいだった。
頑なに病名を隠していた父親は、
結婚式当日が、抗がん剤治療の入院1週間前であることを
姉伝えに知った。
「コロナにかかったら、本当に死んじゃうよ!」
奥さんや姉が何度言っても、
父は、結婚式に出席することを譲らなかった。
バージンロードも一緒に歩くと言った。
「本当に、欠席した方がいいのに……」周りは言ったけれど。
でもこれに関しては、私は、
父の気持ちが分かるような気がした。
批判覚悟で、とんでもないことを言うけれど。
きっと父は、万が一これで、本当に死んでしまったとしても
結果を受け入れる人だと思った。
後悔しない人だと思った。
それよりも、結婚式に出なかったことの方を
一生、悔いるだろうと思った。
そんな言葉をはっきり聞いたことはない。
でもこれは、私と父の、信頼関係だった。
周りには心配させて申し訳ないけれど、
式中は姉が介助しつつ、奥さんが外で待機して
披露宴が終わり次第すぐに迎えに来てもらうことになった。
そして式場は、本当によくしてくれた。
とにかく台本が複雑なので、司会の人と擦り合わせたり
タイミングよく音響を流す練習をしたり。
魔王役を任された新人のMくんは最後まで不安がっていたけど、
支配人とプランナーさんが「やれる!てか、やれ!!」と押し切っていた。
プランナーさんが「きっと、お2人も落ち込んでるから……私たちは明るく盛り上げようと思って!」と言ってくれた。
対策費や工数、新郎新婦からの問い合わせを増えて、皆さん自身も大変な中だろうに。
前日の荷物搬入と、最終すり合わせ。
席次表も刷り上がったものから大分変更になってしまったけど
4/1は越えた。ロックダウンはもうない。
結婚式を、挙げられるのだ。
あとはもう本番をやりきるだけだ。
あーだこーだ言ったけど、結局、同じところにかえってくる。
「挙げるなら、お世話になった人たちをみんな呼んで
今までの結婚式で一番良かった!って言ってもらえるような、
思わずSNSでシェアしたくなるような式にしたい」
ちょっともう、ご時世的に
SNSでシェアできる感じではなくなってしまったけど。
結局ここに、戻ってくる。
「中止か、家族だけで挙げる選択肢を取るべきだったのかもしれない」
いくら後悔したところで、タイムマシンで戻ったところで
結局私たちは、この結論を取るだろう。
たくさんの人を巻き込んでしまったし、嫌な思いをした人もいると思う。
だけどここが私たちの、どうしたって、譲れないことなのだ。
これは、私たちの結婚式なのだ。
欠席の方も、ほとんどの方がお祝いを振り込んでくださった。
「何も提供できないのは申し訳ないし、せめてWEB配信しようよ」
「その方が、私たちらしい式じゃん」
前日ギリギリになって、2人で決断した。
zoom有料版を申し込み、ヨドバシカメラで機材を揃えて、2人で視聴マニュアルを作って、謎解きと合わせてみんなに送った。夜中2時まで準備した。
ぶっつけ本番、音声・映像途切れたらゴメンである。
そして、よが、あけた!
4月4日、結婚式当日
当日はこれ以上ないくらい、いいお天気だった。
もうドタバタで、朝もあれこれ準備をする。
夫は白いハンカチとうがい用コップを買いに街へ出かけ、
私はまつエクへ。「結婚式いつなんですか?えっ、今日……?」とちょっと店員のお姉さんに引かれた。
爪ははぐれメタルで参戦
姪っ子がウェルカムボードを作ってくれた。式場の人が、ドラクエグッズをいい感じに飾ってくれた。招待状の謎解きの答え合わせもここで。
そして、ゲストの皆さんがやってくる。
こんな時なのに、最終的に44名もの人が来てくれた。
小・中高・大・社会人の各時代の友達がいる。家族もいる。
式場の前で、母親からベールをかけられる。
扉が開いたとき、大学の親友が泣いてたことが胸に来た。
父親は射るような目つきで、バージンロードを一緒に歩いた。
夫はリングガールの姪っ子から受け取った指輪を落とし、
漫画みたいにコロコロと転がしていった。
中庭でちいさなメダル探しをして、景品と交換。
主賓が欠席となったので、花嫁自ら乾杯の音頭を取った。
皆さん、今日は勇者なんで!世界平和のために手を洗ってソーシャルディスタンス取ってね!諸事情により料理が余ってるから、たくさん食べてね!
夫がRPGツクールで作った設定映像が流れ
「♪パーンパカパカン、パーーン!」のドラクエの序曲と共に、
披露宴会場に入場する。
野菜の日(8月31日)に入籍ということで、会場にはじゃがいも・にんじんなど野菜を中心に装飾している。あとで持ち帰ってシチューにした。
料理の名前も、全部ドラクエ風にした。
RPG風プレート大活躍
毒ワインで記憶をなくす夫
「夫の記憶を取り戻すには、白い山に生える薬草が必要だが、それを切る伝説のナイフの鍵番号が分からない。一体どうすれば……」
目の前のぼうけんのしょを開くと、謎解きが出てくる仕掛け。
みんな、めっちゃ楽しそうに謎解きしてくれる。
無事に記憶を取り戻したのも束の間、あらくれ者の襲撃。夫が「ひのきの棒」と「おなべのフタ」で応戦するも、惨敗。
誘拐されていく私(お色直し退場)
セミプロのピアニストの先輩が神父役となり、ショパンも使ったピアノで演奏する贅沢な「ふっかつの呪文」
天空のつるぎを探したり会場爆破されそうになったりなんやかやしながら、
魔王の正体であるメダル王に弱点のにんにくを届けるまでがミッション。
完全正解までいったのは2組くらいだった。
最後はお約束、ミナデインで魔王を倒す。
高砂でWEB配信
人の結婚式に出るのが35年間で初めてという友達に「最近の新婦って、みんなPC作業するの……?」と言われた
会場×WEB参加者で交流
WEB出席者が申し出てくれて、記念撮影。すっごいいい写真撮れた。
背景を会場にして、会場に来てる風にしてくれる人も。
上半身だけ正装してる人も。
海外やら山梨やら各地から参加、知らない人同士でも交流してくれてた。
魔王を倒したあと、中庭で友達と話していると
会社の先輩(兼ふっかつの神父役)のピアノが流れてきた。
私の好きなドラクエ曲を、全部上手く繋げて、メドレーにしてくれていた。
サプライズで泣かせる……とかは嫌いなのだけれど、私からも感謝はどうしても伝えたくて、手紙を読む時間をもらった。
一部、抜粋してここに残します。
本日はどうもありがとうございました。8割9分くらいロックダウンかなと思っていたので……まずは今日、この手紙を読むことが出来ていることが奇跡だと思っています。
周囲に結婚すると伝えたとき、何人もの人から「菜子は絶対結婚しないと思ってた」と言われました。私は家事能力も低いし1人でネットしてる時間がないと死んでしまうし、あんまり結婚は向いてないなと思ってました。
昔は自己中心的だと嫌われることが多くて、そこからなるべく周りに合わせよう合わせようと生きてきたけれど、どうしても合わせきれない自分もいて。巡り巡ってやっぱり「自分」からは逃れられないのかなと、年を重ねるごとに思います。なので、自分を貫くことで1人で生きるのであれば、それも仕方ないかなと覚悟はしていました。
旦那さんと一緒にスペイン旅行に行ったとき、2人して財布を忘れ、無一文でバルセロナへ飛び立ちましたね。この人と一緒なら、自分は自分のままでもいられるかなと思ったことが、結婚のきっかけでした。
そんな旦那さんを育ててくださった旦那さんのご家族。そして私の家族へ。こうして両親、そしてイギリスの姉も大変な中で2週間自宅待機してまで来てくれて。4人で集まれたのも25年ぶりくらいです。あの頃より家族も増えて、今日のこの場をきっかけにまた集まれたのは何よりの思い出です。
そして改めて、勇者であるこの場の全ての皆様へ。ご参加にあたっても、様々な葛藤があったと思います。こうしてお越しいただいたこと、感謝してもしきれないです。
様々なご事情から本日この場に来られなかった皆様も、あたたかいお言葉やご支援、本当にありがとうございます。今日直接は伝えられませんが、改めて御礼させてください。
「自分らしく」生きるためにいろんな我儘を通してきて、それでもこうして支えてくださっている皆様、そして旦那さんには、本当に感謝しかありません。今の私があるのも皆様のお陰であり、このような人々に囲まれて、なんて恵まれた、幸せな人生だろうかと、心から思います。
皆様もどうかご自身の「自分らしい」決断を大事に、大切な日々を歩んでいってください。
今日のこの場を、ありがとうございました。
後夜祭
結婚式が、終わった。
みんな言うけれど、当日は本当にあっという間だったし
もう、めちゃくちゃに楽しかった。
が、俺たちの結婚式はまだ終わらない。
会場欠席者への引き出物が、モーゼ状態である。
発送費だけで4万円以上かかった……
宝箱に小さなメダル(チョコ)を手作業で入れていったけど、
お子さんに好評でよかった。(というか大人も割と喜んでた)
挙式の2日後に、緊急事態宣言へ。会社でも在宅勤務がはじまった。
2週間後、無事コロナ感染者は発生しなかったことを、改めて全員にお知らせした。
会場欠席の方からも、たくさんの電報をもらった。
スライムのマグカップとスプーンを一緒にプレゼントしてくれた後輩がいた。
噂を聞きつけた元上司が「それは大変じゃん」とご祝い金をくださって、涙ぐんでしまった。
手紙の通りだけれど、当日来てくださった方も、来られなかった方も、本当に、感謝してもし尽くせない。
そして嬉しいことに、本当に、いろんな人から
「今までの結婚式で一番楽しかった」と言ってもらえた。
「SNSシェアしたくなる結婚式」は無理だなと思っていたけど、
WEB参加者の方が出席したことをFBでアップしてくれたり、
Twitterで上げてくれた会場参加者の方もいて。
年末に、友達が「今年の一番の思い出」として私の結婚式を上げてくれたのも、もう本当に、めちゃくちゃ嬉しかった。
堂々としていていいんだなと、勇気づけられた。
そして、もう1つの奇跡。
式の1週間後から抗がん剤治療に入った父親は、
幸いにも、抗がん剤がよく効いた。
これも今年のお正月にようやく教えてくれたことだが、
式の当時は「1年以内の生存率が5%」と言われていたそうだった。
酒飲みの夫を「よう、息子!」なんていいながら
一緒にお酒を飲む。(飲んでいいのか?)(数時間で寝てしまうけれど。)
寿命なんて、誰にもはっきり分からないけれど
あと数年か、もう少しは一緒に話ができそうである。
延長戦をもらったような感覚だ。
コロナ禍の結婚式が教えてくれたこと
今回で何を学んだかを一言でいえば、「決断」の大切さであると思う。
全てが100%、全員が満足がいくことは難しい中で
自分の満足も、その中の1つだった。
本当に自分が何をしたいか、譲れないことは何なのか、
何を大切にしたいかを考えさせられた。
一緒にするのもおこがましいけれど
経営者の方は、常にこの決断を迫られているのだろうなと思った。
批判も含めて全て一身に受け止めて、さらには自分だけでない人の生活も背負って、自分の決断1つで変わってしまう。
そんなプレッシャーの中で世の中のためのサービスを提供し続けてくれている経営者の方を尊敬するし、本当に頭の下がる思いだ。
私たちは、この形で式を挙げる選択をしました。
でもこれはあくまで、私たちの選択であって。
悩みながら、結婚式の中止や延期を選択した方も。
家族だけの式を選択した方も。
そして私たちと同じように、式を挙げる決断をされた方も。
WEB配信で実施した方も。
いろんな答えを出した新郎新婦の方がいらっしゃると思います。
その全ての決断に、私は敬意を表したいです。
本当にしんどかったと思います。本当にお疲れ様です。
その答えが間違ってるなんてことは、絶対にないです。
そして何より、おめでとうございます。
結婚は本当に、おめでたいことです。
不要不急なんかじゃないです。要急です。
心からの祝福を、お伝えしたいです。
これを機に、いろんな結婚式のスタイルが増えていくといいなと思う。
会場出席・WEB出席・欠席選べるとかも、いいんじゃないかな。もしもう一回やるなら、WEB出席の方にも冷凍で同じ料理とか送りたい。いややらんけど。
もしWEB配信のやり方など何か聞きたいことあれば、
遠慮なくご連絡いただければと思います。
20代の頃は、自分で決めることが本当に苦手だった。
「周りが」満足のいくことをしたかった。
でも全員が満足のいく答えなんて、なくて。
コロナ禍で分かりやすく気付かされただけで、
それはコロナがある前から同じなのだ。
今でも私は、初動は受動型である。今回の結婚式だって、夫がやりたいと言い出してくれたことがきっかけだった。
でもその中に、自分の叶えたいこと・大切にしたいことがおぼろげながら見えてきて、
その輪郭をくっきりさせるのは、自分自身だと思う。
このコロナ禍によって、新郎新婦だけでなく
様々な方が、様々な決断を迫られていると思います。
あいまいな「自粛」要請の中で、
いっそ誰かが強く命令してくれたら、どんなに楽だろうとも思ったけれど。
決断できることの幸せを、私は大切にしたいと思います。
そしてたくさん祝ってもらった分、今度は私にできることを恩返ししていきたいです。
改めて、このような場をいただき
本当にありがとうございました。
拙い私たちですが、これからも、よろしくお願いします。
そしてこの長文を読んでくださった皆様にも、
本当に、ありがとうございました。
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