身内の入院、退院
先日、身内がデイサービス先で、誤嚥が元で一時意識を失い救急搬送された。当日は本人が「どうしても家へ帰る!」と言い張り、いったん帰宅した。翌日、家を訪れたヘルパーさんから「いつもよりぐったりした感じで、様子がおかしい。」と連絡があり、まずはかかりつけの医院へ連れて行った。
「なんでこんな検査を受けなきゃいかんのだぁ~!!!」と散々わめきちらし、技師の方にはずいぶん迷惑をかけてしまったが、なんとか診断が済んだ。医者から「うちには入院設備がないから、安全を考えると大病院へ入院した方がよさそうですね。」ということで、紹介状を書いてもらった。そして、大病院へ行き、またまたいろいろな検査をした。今度はおとなしく受けたようだったが。
結果は肺炎のなりかけと心不全の進行。
幸いひどい状態にはならず来週退院予定ということで、今日はケアマネージャーさんを交えてのカンファレンス。その道のプロだからケアマネージャーさん、パパパっと宅配弁当やら訪問看護やらベッドの手すりの手配やらを済ませていた。
私達だけだったら、あんな老人が自宅に戻って一人で生活するとなると、何をどうしたらよいのだろうかとパニック状態になるだけだった。
看護師さんから「どうも尿意を感じていないようです。」と指摘があった。つまり、失禁。
以前は、(おそらく)前立腺肥大で尿に勢いがないのに、立位で小便をしようとするからズボンを濡らすのだ、と思っていた。結果は認知症で失禁 するのと同じことになる。。
「小便も、便座に座ってした方がよいのじゃない?」と言ったが、聞く耳を持っていなかった、というか、意味が理解できていないようだった。その頃はまだ、尿意を感じてトイレで用を足さないといけないという意識はあり、その意味では認知症的ではなかっが、適正な対応策を考えて実行する、と いう能力は衰え始めていたのかもしれない。そのうちに「ズボンが濡れててもいいや。」と思うようになり、感覚が鈍麻していってしまったのだろうか。
しかし、株には関心があり、新聞等も普通に読んでいる。お金の計算も出来る。それで、介護認定を受けると度合いが低めに査定されるようだ。
まあ、甘い言葉とヨイショで証券会社の営業は寄って来る。苦言を呈する身内は遠ざける。それが今の結果だ。
認知症の話となると、ナン・スタディのシスター・メアリ―の例がよく出て来る。なんとも理想的な話だ。日頃からいかに脳を使うようにするか。 生活習慣をいかにコントロールするか。
今回ビックリしたのは、隣家に合鍵を渡していたこと。
「日中になっても雨戸が開けられていないから、申し訳ないけれども合鍵を使って 中を確認せてもらった。」と近所の人に言われた。入院翌日にたまたま隣家の奥さんと鉢合わせしたので、「しばらく入院することになりました。」と伝えてはあったが、奥さんがたまたま外出していたので、事情を 知らない旦那さん達が心配してくれたのだ。なんともありがたい話であり、ご迷惑をかけてしまって申しわけない話だ。ちょっと放置し過ぎたかなと反省をし、もっと関与を深めようとケアマネージャーさんと話をしました。
今回は施設への入所の話は一切出ませんでした。本人の性格、希望を考慮してのことでしょう。なじみの土地でなじみの顔ぶれで生活していれば、例え認知症を発症していたとしても生活は可能だ、という考え方なのでしょう。施設への入所が合うタイプの人と、合わない人、認知症が進んでしまうようなタイプの人があるのでしょう。いろいろな例を見ているから今回の判断となったのでしょう。