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落ちこぼれの生徒を救うため、僕は会社をつくった

今日は「なぜ僕が会社をつくったのか」についてお話したいと思います。

約10年前、僕は勤めていた大手の学習塾を辞めて、勉強を効率化させる「スタディーハッカー」という会社をつくりました。

創業メンバーは、僕含めて5人。

前職の塾で一緒だった人、バイトしてた京都の塾にいた数学の先生、ネイティブのニュージーランド人。そして、僕のアルバイト時代の教え子です。

そのメンバーで京都に作ったのが、ひとつめの塾「烏丸学び舎」でした。医学部や難関大学向けの個別指導予備校です。

当初はその5人で生徒を教えながら、並行してカリキュラムを作り、新規入塾者の対応や新しい講師の研修までやっていました。人が足りないので、なんでも自分たちでやりました。教室の内装も自分たちでやったくらいです。

「フランチャイズでもいいか……」

会社の理念は「STUDY SMART」。

「学び」の領域に「科学」の知見を取り入れて、勉強を効率化するスキルやノウハウを提供しよう、というものです。

ただ、この理念はすぐに決まったわけではありませんでした。

会社設立から遡ること数ヶ月ーー。

大手の塾を辞め「独立するぞ」と決めたはいいものの、どういう会社にするべきか、悩んでいました。

正直、「なんでもいいや」と思った時期もあります。「フランチャイズで塾をやるのもいいか」と思って、何回か説明を聞きに行ったりもしました。

でも「それだと自分がやる意味はあまりないな」と思い直したんです。フランチャイズ経営も意義があることだとは思うのですが、僕の場合は「それだったら、そもそも塾を辞めなくてもよかったかな」と思ったのです。

「自分ならどういう塾をつくりたいだろう……」
「どういう塾が理想の塾なのだろう……」

いろいろ考えながら準備を進めていましたが、どうにも「決め手」に欠けていました。「これを売りにすればうまくいきそうだ!」という「何か」がなかったのです。

ある「研究」との出会い

そんななか、塾講師のバイト時代の教え子である田畑と再会しました。

中学生だった彼女は、大学院生になっていました。SNSで僕を見つけてくれて連絡をくれたのです。

そこでいろいろ話しているときに、ふと彼女が「いま、大学院で第二言語習得研究っていうのをやってるんですよ」と言いました。

第二言語習得研究というのは「人間がどうやって第二言語、いわゆる外国語を身につけていくか?」というプロセスやメカニズムを研究する学問だと言います。「こんな感じで人間というのは言語を習得していくよね」ということを研究するもの。

その話を聞いて、瞬時に「あ、これが切り札になるかも!」と思いました。そこで僕は、気になっていたことをいろいろ聞いてみました。

「英語を学ぶとき、いきなり英会話をやったり、シャワーのように英語を浴びればいいと主張する人もいるけど、どう思う?」

「基礎的な知識がないなかでコミュニケーションばかりやっていると、変な英語が身についてしまって、治すのが難しくなってしまうことがあるんです。それを『化石化』と言って。第二言語を学ぶときに『言語転移』といって、自分の母語、つまり日本語の知識をそのまま転用してしまう現象が起きるんですね。その典型が『カタカナ英語の発音』。こういうことを続けていると『化石化』が起こって、間違いが直りづらくなってしまうんです」。

さらに僕は聞きました。

「アメリカに住んでいれば、英語は自然に身につくよね? だから、とりあえず英会話をやればよくて、文法は勉強しなくていいという考え方もあると思うけど、それはどう?」

「英語が主要な言語であるアメリカで英語を学ぶのと、英語が外国語である日本で英語を学ぶのとでは、最適な習得のアプローチは違ってきます。すでに日本語が身についている人は、文法を学んだほうが早く英語を習得できるんです。アメリカみたいにインプットが大量にある環境なら、なんとなく体系的なルールが立ち上がってくるのですが、日本では難しい。だから体系的なルールを頭に入れながらインプットしたほうが効率は高まります」。

これはすごい、と思いました。

これまでの長年の塾講師経験から「なんとなくこっちが正しそうだな」と思っていたことが、バンバン裏付けられていったからです。

僕は彼女に「これは世の中に絶対に必要なことだ! これで英語教育の世界を変えていこう!」と言いました。

「すごい贈りものが来たな」と思いました。

塾講師時代から困っていたこと

塾で教えているころから、ずっと困っていたことがありました。

それは同じように教えても「定着が悪いなあ」という生徒がいたことです。ものすごくがんばっているのに成果が出ない。めちゃくちゃ真面目にやってるのに伸び悩んでる。一方で、そこまでがんばってなくても、すごく伸びる生徒もいました。

同じことを同じように教えているつもりなのに、なんでなんだろう?

自分の中で「仮説・検証」を繰り返しながら、教え方を変えたりしていたのですが、確信が持てていませんでした。

しかも「仮説・検証」は効率が悪いのです。

たとえば「A」という方法と「B」という方法で試したとします。そこでAのほうがいいからといって、実は「C」という100倍すごい方法が見つかることもありえます。そもそも最初の仮説の立て方からして違う、みたいなことも起きる。

塾でいろんな方法を実践していても、やっぱり効率が悪い。いわば手当たり次第に試していくことに近いからです。

しかし「第二言語習得研究」の存在は、それを覆すことができるのではないか、と思いました。「正解」じゃないかもしれないけれど、少なくとも「指針」として使える、と思ったのです。

実践による仮説・検証だけでなく「学問的な知見」を入れていく。そのことによって、方針を立てられれば、はるかに効率化するんじゃないかなと思ったわけです。

「第二言語習得研究」は思ったよりも響かなかった

そんなわけで僕は、最初の塾の売りを「第二言語習得研究に基づいたメソッド」にしました。

しかし、いざ蓋をあけてみても反応はよくありませんでした。

「第二言語習得研究に基づいたメソッドです!」と言っても「なんやそれ?」「意味わからんわ」という感じです。というよりも、スルー。無反応。それが大半でした。

それでも、ごくたまに「試してみようかな」と体験授業を受けてくれる人もいました。そして、その人たちにはものすごく好評だったのです。「これはぜんぜん違う!」「今までやっていたのは、なんだったんだろう」という反応でした。

集客に足踏みしましたが、ほどなくして結果が出始めました。

めちゃくちゃ成績が伸びる生徒が出始めたのです。

僕らは「第二言語習得研究」だけをアピールするのではなく「第二言語習得研究で成果が出る」ことをアピールするようにしました。

「なぜ、この生徒の成績がこんなに伸びたのか? それは裏側に第二言語習得研究という秘密があったからですよ」。そのメッセージが伝わると、生徒はどんどん増えていきました。

予備校で結果が出始めたのを見て、僕は「このメソッドを受験生だけに提供するのはもったいない。大人向けにもやろう」と思いました。ちょうどビジネスパーソンも英語を学ばないといけない空気が強まっているタイミングでした。

そこで2015年に東京でスタートしたのが「ENGLISH COMPANY」という英語のパーソナルジムでした。

「研究」は「ノウハウ」ではない

ひとつ、ここでめちゃくちゃ大切なことを言います。

それは「第二言語習得研究を知っていれば、効率的な勉強法がわかります」というものではない、ということです。

僕らがここ数年「第二言語習得研究」という言葉を使い過ぎたせいで「バズワード」みたいになってしまいました。キャッチーだからといって使いすぎた。ここは反省点でもあります。

案の定、どこもかしこも「売りは第二言語習得研究です」みたいなことを言い始めたのですが、それだけでは「魔法」にはならないのです。「それがあれば万事解決」というものではない。

ここがめちゃくちゃ大切なんです。

第二言語習得研究というのは、あくまで「研究」です。学問です。実際の論文には真面目で、研究としてまっとうで、だからこそ控えめな研究結果しか書いてありません。

「こういう条件において、こういう被験者のグループに対して、こういうことを行いました。すると、そうではないグループに対して、優位が見られました」みたいなことしか書いていない。

大前提として、だからこそ研究にはすごく価値があるのですが、成績をあげるためには「実践にどう落とし込むか」という部分をプラスする必要があります。

「こういう理屈で言語習得が起こるのなら、こういうアプローチを試してみたらどうか?」という仮説を立てて、それを実際に試したり、生徒でやってみたりする。カリキュラムを実際に組んでみて、効果を検証していく。

そういう作業をずっとやらないといけません。

しかも、研究は完全に証明されたものばかりではありません。言語習得のメカニズムが「可能性レベル」のものもある。そこは実践に落とし込む際に、調整しながら慎重に進めていく必要があります。

第二言語習得研究は万能ではない。大切なのは、その「活かし方」。そこに向き合う「態度」がめちゃくちゃ大切なのです。

僕らは、第二言語習得研究を知ってるから成果を出しているというわけではなく、第二言語習得研究をベースに仮説検証をずーっとやっている。

だから、成果が出ているのです。

実践者と研究者の知見が融合

「研究」と「実践」。その橋渡しをていねいに行なっていくことで、一滴一滴ノウハウが絞り出されていきます。

スタディーハッカーには、実践畑から来た人と研究畑から来た人が集っています。塾や予備校、進学校といった「実践畑」から来た人たちが研究を知ることで「あ、こういうことなんだ」と気づく。一方で、大学などで言語学を研究していたような人がノウハウに触れて、改善・発展していく。

うちの社員は日々、論文を読んだり、さまざまな知見を収集したり、研究授業に参加したりしています。さまざまな知見を集約し、それらをもとに考えたトレーニングを実際に試し、調整しながらノウハウを磨いています。

集団授業をやっている先生の実践を見ながら、同じものをパーソナルトレーニングでやるならどうするのがベストか? ひとりの優秀な先生のノウハウをどうやって横展開できる仕組みにできるか? そういったことを考えてきました。

実践者と研究者、この両者の知見をどう融合させれば、もっとも効率的なかたちにできるのか? そこをこの10年、積み上げてきたわけです。

「落ちこぼれ」なんていない

この記事のタイトルには「落ちこぼれを救うため」と書きました。

ただそれは、わかりやすいと思ったからであり、僕は本来「落ちこぼれ」というのはいないと思っています。

落ちこぼれなのではなく、たまたま効率的なやり方を知らなかっただけ。たまたまその分野に向いていなかっただけです。

そもそも「落ちこぼれ」という存在の人間がいるわけではないのです。

よく「努力すればできる」と言われます。「努力というものは誰でもできるし、努力によって成功や失敗が決まる」という考え方です。

でも、そんなものはウソだと思うのです。そして、そのウソは誰も幸せにしません。

「あなたが失敗したのは、努力が足りなかったからです」というのは、ぜんぶウソ。

僕がウサインボルトより足が遅いのは、僕の努力が足りないからでしょうか? EXILEよりダンスが下手なのは努力が足りないせいだからでしょうか? (たしかに僕はダンスの努力は1ミリもしていませんが、したとしてもたぶんEXILEにはなれないでしょう。)

それを全部「努力のせい」と言ってしまうことは誰も幸せにしません。

僕らが提案したいのは「得意なことを得意な方法でやりましょう」ということです。「才能がなくたって、方法を知っていればできるよ」ということです。科学に基づいた効率的な方法を知っていれば、誰でも一定の成果が出る。それが会社を通じて、証明したいこと。

きちんとやり方を知って、身につけた力をきちっと発揮できれば誰でもうまくいくはずなのです。

バイクに乗れば、ボルトにも追いつける

僕らの会社「スタディーハッカー」はまさに「スタディー」を「ハック」することが目的です。学びの領域でいかに効率化するか? そこを極めようとしています。

「効率化」は「そもそもの能力差を縮める」ことにつながります。

たとえば僕とウサインボルトは、足の速さはぜんぜん違います。でも原付バイクに乗ったら一緒です。その「原付」が「効率化」です。

人間なので、どうしても「そもそもの能力差」というものはあります。

それは「その人が優れた人間かどうか?」の差ではありません。「そこが適性のある分野かどうか?」ということによって差が生まれただけです。走る分野であればボルトは最強ですが、英語を教えるという分野においてはおそらく僕のほうが上でしょう。

勉強という分野に「効率化」を持ち込むことができれば、そこを縮められるのではないか。そこをなんとかしたいという思いがめちゃくちゃ強くあるんです。

僕らはできない人がいても、切り捨てたり、あきらめたりはしません。それは「なんとかできるはずだ」と思うからです。

「できない」というのは、「たまたま」なのです。

努力することに価値を置きすぎ

大学時代、塾の先生のアルバイトをやりながら、違和感を抱いていました。それは「成績を上げる」こと以上に「努力をする」ことに価値を置いていることでした。

本来は、効率的に成績を上げることができればいいのに、「問題集を大量にやる」とか「朝から晩まで机に向かう」みたいなことに重きが置かれていた。そのバランスがなんだかおかしいな、と思っていたんです。

塾の方針があるので、僕もそれに従ってはいましたが「これって本当はベストなやり方じゃないよね」ということは思っていました。

だから「自分で会社をやるときは、みんなを原付に乗せてあげたいな」とぼんやり思っていたんです。原付に乗せたからといって、そこまで差は縮まらないかもしれないけど、後ろから追い上げることはできる。努力や根性だけを掲げていても、何も変わりません。走れないのには、走れない理由があります。おのおの事情があったり、性格や能力にもよる。だからまず「やり方を変える」ということを試すべきだと思っていたのです。

「第二言語習得研究」との出会いがそれを思い出させてくれました。

それは「原付」で言えば「エンジン」みたいなものです。「このエンジンがあったら、原付が作れるかもしれない!」と思ったんです。落ちこぼれている生徒は、本当は落ちこぼれなんかじゃない。「効率という原付」に乗せて、もっと速く走れるようにしてあげたいと思ったんです。

成果が出ることがうれしい

僕が考えているのは、どうすれば成果が出るのか。その一点です。

会社のメンバーも「生徒のため、お客さんのためになるには、どうするべきなんだろう」と毎日考えています。

だから、ときにはお客さんとぶつかることもあります。お客さんから「こうしたい」と言われても「それじゃ成果が出ないのでこっちの方法でやりましょう」と言ったりします。

授業の評判をよくしようと思ったら、きっとできるでしょう。派手でおもしろいことをやれば、人気は出るかもしれない。

でもうちはその道は選びません。

リーディングスキルを上げるために音読をしまくることが必要なら、それをやります。それは地味なことだし、おもしろいものではない。でも成果が出ることをやっていきたいのです。人気の授業をやったほうがお客さんも集まるし、儲かるかもしれない。でもそれでは意味がないんです。

これは別に、きれいごとで言っているわけではありません。

ビジネス的なところにそこまで興味がないのかもしれません。「すごい経営者だね」と言われるより、みんなの成果が出たほうがうれしい。何十年経っても、僕はただの「いち塾講師」なのかもしれません。

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