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「たかが言葉」が「されど言葉」になった日(阿部広太郎さんのbook campを受講して)
コピーライターの阿部広太郎さんのbook camp講座の2期生、参加者募集中です。「….迷っている」という声を聞いたので後押しの記事を書こうと思います!
言葉を手段として自分を見つめる
私は昨年受講の1期生です。この講座の、「言葉を手段として自分を見つめる」といったコンセプトに惹かれ、参加しました。育休中で自分存在価値についてモヤモヤ考えていた私にぴったりだと思ったのです。
結論、私の人生を俯瞰した時になくてはならない大事な大事な「点」が打てたと思います!「点」というふわっとした表現なのは、いろんな複層的な気づきがあったから。
ただの「言葉遊び」になっていた私の思考
実は私はDAY1とDAY2あたりまで課題に苦戦していました。というのも、ただの「言葉遊び」と「グッとくる言葉」の違いがうまく掴めていなかったのです。
例えば、言葉の言い換えの課題。「ピンチ→チャンス」など、言い換えること自体は難しくない。けど、自分が本当にそう思えるのかというところに迷いがあるわけです。これってただの言葉遊びでしかない気がする…と。
そんな状態で苦し紛れに私が出した複数の言葉の中で阿部さんが選んだのは
「内定ゼロ→まだ何者にもなれる」
大学生の時、就活がうまくいっていない私に対して友人がかけてくれた言葉です。課題に取り組む中でなんとなく思い出して、提出間際に滑り込みで出した言葉。阿部さんが丁寧に質問をしてくれてその言葉について説明していくと、徐々に言葉が立体的になっていく感覚がありました。
当時その言葉をもらったことで実は私は結構救われていたことに気づいたり、社会に出て十数年、今楽しく働けていることを実感したり….さまざまな気持ちが浮かんできて、一通り話し終えた時には、私の中では手触りのある言葉になっていた。
同じ言葉なのに、見え方が違う。
「たかが言葉」が「されど言葉」になった日だった。
言葉は、「出口」ではなく「入口」
そして気付いたのは、言葉は、「出口」ではなく「入口」なのかもしれないということ。気持ちを表現した結果が言葉なのでなく、言葉にするから思考したり想いをよせることができる。
もちろん、より深く届けるために表現(出口)を磨く工程も必要だとは思う。でも、いきなり出口を目指しすぎてしまうことがある。
例えるなら、入口から入らず脇を回ってゴールに先回りする迷路のような。(同じゴールでも、その瞬間に人を驚かすだけの先回りゴールと、後から思い出や経験として残る迷いながら辿り着いたゴールでは全く違う)
冒頭に伝えた「点」という感覚もそこから来ているかもしれない。このcampで何かのゴール(出口)を達成できたというより、この点をきっかけに未来が動き出すかもしれない、そんな入口に立った感覚。
「入口」に立った私を信じてエールを送ってくれる阿部さん
さらに阿部さんはcampを通じて「発信していく」ことを何度も伝えてくれました。自分だけの閉じた言葉にしない。人に届けるつもりで言葉を紡いで、置いていく。それがいつか誰かに届く。
阿部さんのすごいところは、それを当たり前のように信じてエールを送ってくれるところ。私たち以上に私たちのことを信じて背中を押してくれる感じがするのです。
信じてエールを送ってもらえること。大人になると、なかなかない。でも、
このcampはそんな場所。スタートにぴったりの場所です。(私もこのcampをきっかけに小さくスタートしたことがあります)
まとめ
・未来が動き始める「点」が打てた。
・言葉は出口ではなく、入口。そこから想いを寄せて、思考が巡る。そこに「されど言葉」の魂が宿る。
・入口から一歩進むための、エールの力。
気になる方は是非2期に申し込んでみてください〜!