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着いたら起こすから、寝てていいよ/小野上温泉ハタの湯

2025年の正月納めに、近所の小野上温泉に行った。僕が暮らす群馬県吾妻郡には、日本一と言われる草津温泉をはじめ、『千と千尋の神隠し』のモデルの1つにもなった積善館のある四万温泉など、良質な温泉が多い。けれど、僕個人にとってはこの小野上温泉に強い思い入れがある。

15年前に亡くなった父は、うちがある中之条町から20キロほど離れた渋川市の鮮魚店に長年勤めていた。渋川の市場に届いた鮮魚を店で下すなどし、伊香保や四万、草津の温泉旅館等に卸す仕事。「魚金」と書かれた白いバンに魚を乗せて、お茶を飲みに自宅へ寄ることもあった。小学生だった僕は、魚くさいその車に乗って四万温泉までついて行き、旅館主の計らいで父と一緒にこっそり温泉に入らせてもらった記憶もある。

色々な温泉に出入りしていた父だったが、お気に入りが中之条町から渋川市の中間にある小野上温泉だった。小野上温泉は今はハタの湯という名でいわゆる一般的な日帰り温泉施設、という感じだが、平成20年に行われた建て直し前は、実に味のある温泉だった記憶がある。入るとすぐにレトロなゲームコーナーがあり、広間では絶えず温泉上がりのおじちゃんおばちゃんのカラオケが行われていた。脱衣所は細く長い。寒い寒いと露天風呂に出ると、こんもりとした岩山のようになっていて、少し階段を上ってからえいっと湯に浸かった記憶がある。泉質も今のお湯よりも気持ちトロっとしていた気がする。

今思い出せる光景として、何度か「しこ踏みおじさん」を見た。露天風呂の階段下で、ガタイのよいおじさんが一人、とーんと右足を上げると、どしんとしこを踏む。とーんと左足を上げると、どしんとしこを踏む。父に連れられてわりと頻繁に温泉に行っていた気がするが、そのおじさんを見たのは1度2度ではなかった気がする。父が「あの人は相撲取りだったんだよ」と言っていた気もするが・・それは僕が捏造した記憶かもしれない。

夕飯は済ませてから、父は僕を温泉に連れて行った。母はあまり一緒に行った記憶がなく、姉二人が一緒にいた時もあったが、父と僕2人だけで行くことが多かった気がする。温泉に浸かり、牛乳とかジュースとかを買ってもらって、帰りの車。わずか15分程度の距離ではあるが、温泉を出た途端に眠くなる。父は子どもに優しい言葉をわざわざかけるような人ではなかったが、その時に言われた言葉がある。

「着いたら起こすから、寝てていいよ」

・・そう書いてみて、やはり実際は父はそんな言葉は発さずに、そういう態度をとっていたというだけ、かもしれない。でも、温泉帰りの車でウトウトする僕を包んでいたのは、圧倒的な安心感だった。それは確かに覚えている。

今夜の温泉には、お正月らしく、家族連れが多かったように思う。顔の似た父と息子が何組か、並んで湯船に浸かっていた。いい光景だなと思う。

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