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映画でしか語れないもの/伊参スタジオ映画祭 第20回シナリオ大賞募集開始

実行委員長を務める群馬県中之条町で開催の「伊参スタジオ映画祭」で、「第20回シナリオ大賞」の募集が始まった。これは、全国から映画の中編・短編シナリオを募集し、その大賞作品に対し制作補助金の贈呈等を行い映画化させる取り組み。映画化された作品は、当映画祭での上映を経た後に広く認められる作品も多く、近年のものでは「大阪アジアン映画祭」で「JAPAN CUTS Award」を受賞しニューヨークでも上映された笹谷遼平監督『山歌』や、今月末フランクフルトで開催される世界最大級の日本映画祭「Nippon Connection Film Festival」で招待上映となった煙山夏美さん脚本『冬子の夏』などがある。

「シナリオ大賞」は僕が映画祭スタッフに加わった前年、2003年より始まり、現在までに35作品が映画化され、第19回シナリオ大賞の大賞受賞作品である上野詩織さん脚本による『生きているんだ友達なんだ』は今年11月の映画祭公開に向けて映画化が進められている。嬉しいことに「若手映画作家の登竜門」などと呼んでいただくこともあり、確かに今現在、数多くの映画は作られているが(デジタル化による技術革新により、制作される本数は以前より増えており、その反動として映画館で上映できない映画も多いと聞く)、映画制作のはじめの一歩を後押しする取り組みは全国的に見ても少ない(広く知られた「ぴあフィルムフェスティバル」は完成した映画のコンペであるし、伊参以前から公募シナリオの映画化を行っている「函館イルミナシオン映画祭」も大賞作品全てが映画化されるわけではない)。

第20回を数える今回からは、過去一番の課題であった映画制作費問題に対して、「毎年開催としていたところを隔年開催にすることにより、短編作品の制作補助金を50万円から100万円に増額、中編作品を100万円から200万円に増額」とした。隔年開催にしたことにより、過去無理であった秋冬のシーンをシナリオに盛り込むことも可能となった(映画化にも約2年間費やせるので)。この改変には、過去のシナリオ大賞受賞者有志からのアドバイスがあったことは感謝として書き残しておきたいし(過去の受賞者がシナリオ審査にも関わっていることも当コンペの特徴である)、なにより映画祭やシナリオ大賞が続いている柱には、中之条町行政と町民の多大な理解とサポートがあることにも感謝したい。

シナリオ大賞作品を毎年上映してくださっている同県内の「高崎映画祭」において、この春開催された第37回のコンセプトのタイトルが「大丈夫。映画は無くならない。」であったことに、僕は少し驚いた。(以下引用)

「大丈夫。映画は無くならない。」

コロナ禍に見舞われる、もっともっと前、深刻な経営難で映画上映が続けられないかもしれない、と悩んでいた時に、兄と慕っていたある映画館の支配人が、私にかけてくれた言葉です。

時代が変わろうとも、上映素材が変わろうとも、作り手や観客の意識が変わろうとも、映画自体は絶対に無くならないのだと。 とても単純な言葉ですが、ちょっとした衝撃でした。
それは映画は逃げていかないよ、という風にも取れました。(以上引用)

映画で語られることに対してのコンセプトではなく、日本における映画の存続について言及せねばならないという状況が、映画というメディア、映画鑑賞という生活行動の崖っぷち感を直視していた。そして映画というものがyoutubeやSNSやゲームといった手のひらで消費する数あるコンテンツの中の1つ、という状況が進めば進むほど、むしろ、映画自体の、映画館自体の、映画祭自体の価値というものは上がっていくのだということを高崎映画祭は示し続けてくれている。そして、ではと問いたい。

「映画を作りたい」という気持ちは過去のものとなるのだろうか?

つい最近、映画に関する2つの体験をした。1つはシナリオ大賞からは離れるのだが、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督による新作『悪は存在しない』(こちらはベネチア国際映画祭で銀獅子賞)を「シネマテークたかさき」で鑑賞した(濱口監督は、彼が映画のキャリアをスタートさせた頃に『はじまり』という作品で伊参に来場していただいたこともあります)。この映画については諸々の感想はあるが、思ったことの1つは「映画誕生から100年以上が経った今でも、映画は絶えず研究され、継承され、新しい体験として鑑賞されている」ということだった。世界中のシネフィル(映画通、映画狂)から愛される濱口作品を見たから、ということではあるが、映画は古びないどころか、未だに進化を続けているということは事実だと思う。

もう1つは、過去にシナリオ大賞を受賞し、今年の高崎映画祭で最優秀監督賞を獲った外山文治監督の『茶飲友達』という作品について。監督がSNSに投稿していたことをきっかけに、TBSラジオの「問わず語りの神田伯山」最新回を聞いたところ(ポッドキャストでも聴けます)講談師・神田伯山さんの口からこの映画に関する話が出てきたのだ。映画を観た人ならすぐにそのシーンが浮かぶと思うが、主人公のマナが言う「正しいことだけが幸せじゃない」というセリフにいたく共感したという話。高齢者売春というショッキングな物語を扱いながらも、この映画では草食動物のように清貧で暮らす高齢者ではなく、肌に触れたい、心に触れたいという欲望を持ち合わせた高齢者が描かれる。それは、大きく言えば「人間の尊厳」について、映画でしか成しえない文法と熱量で鑑賞者に問う物語であった。

それら「映画100年の歴史と継承」「映画でしか語れない物語」が、手のひらで消費するコンテンツに負けて消えゆくはずが、ない。

風呂敷を大きく広げてしまった気がするが、「第20回シナリオ大賞」においては前回まで尽力していただいた脚本家の龍居由佳里さんに変わり、群馬在住で芥川賞ほか数々の小説賞を受賞されている作家の絲山秋子さん、当映画祭が企画にも関わり篠原哲雄監督・山崎まさよしさん主演で『月とキャベツ』に続き映画化された『影踏み』の脚本家・菅野友恵さん(菅野さんが中野量太監督と書いた『浅田家!』では日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞)の2名に加わっていただけた。非常にあり難い。

絲山さんは以前から面識があり、ただの一読者ファンでもあるのだが、2022年に出版された「まっとうな人生」においては、シナリオコンクールについて描かれるシーンがある。この小説の前作である「逃亡くそたわけ」において、破天荒ともいえる主人公・花ちゃんに寄り添った、当時は映画制作との接点など全くなかったなごやんが、本小説内では映画シナリオを書き、その創作についてこんなセリフを語るのだ(以下引用)

「ある日私の頭のなかで映画の上映が始まってしまったから、書かざるを得なくなってしまったのです。」(以上引用)

同様にして書かれたシナリオで大賞を受賞した歴代監督もいるのではないかと僕は思う。多くの方からのご応募をお待ちしています。

伊参スタジオ映画祭HP(シナリオ募集についての詳細もここに記載あり)

この投稿の写真は、過去の大賞作品だけを集めた書籍「伊参スタジオ映画祭 シナリオ大賞2003-2019」です。amazonからもお買い求めいただけます。

上毛新聞 大賞作品の映画化補助金を2倍に 伊参スタジオ映画祭(11月、群馬・中之条町)の作品募集開始

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