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おてんば少女だったあの頃

私は小さい頃、とても活発で「おてんば少女」だった。

特に保育園では、男の子に混じって遊んだほうが体をたくさん動かせるので自然と男の子とばかり遊んでいた。小さい頃は男の子とも背丈や体力がほぼ一緒だったので、それで遊べたのだろう。女の子と遊ぶこともあったが、お人形遊びもそこそこに、セーラームーンごっこをやるとなったら必ず私はタキシード仮面役になっていた。いや、それ男役。もしくはセーラーウラヌス役でこれまたほぼ男役。

小学生の頃は、運動会に熱を上げるタイプだった。リレーの選手に絶対選ばれたかったし、騎馬戦の女大将もやった。そのほかにも大縄跳び大会があれば率先してみんなに練習を呼びかけ、友達には思ったことをストレートに伝えたりしていた。子供ながらに自分の中の「正義」を貫いていたんだろうな、と今となって思う。

小学校高学年では、放課後の習い事が英会話とバスケがあったので結構忙しかった。でもどちらも好きなことで、仲良い友達と一緒だったから不思議とやめたいと思ったことはなかったし、小学生ながら充実感があった。

とにかく活発な子だったな〜と、最近そんなことを思い出した。それが今はどうだろう。あの頃に比べたら、とても「おとなしい人間」になっている。もちろん年齢を重ねて多少の落ち着きは必要だが、変に殻に閉じ籠ってはいないだろうか、と。

やりたかったこと、本当は続けたかったことを否定されると、「どうせ自分なんか好きなことはできないんだ」という思考回路が作り上げられてしまう。とある心理カウンセラーの方がこのことを「夢の喪失」と名付けていた。特に、幼少期や思春期に、親や周りから好きなこと・やりたいことを「やめなさい」とひと蹴りされると、この「夢の喪失」を経験したことになる。そうすると「どうせ自分なんか回路」の出来上がりとなる。

なんてもったいないことだろう。しかし、幼少期や思春期の思い出は良くも悪くも心の奥底に住みついて離れない。潜在意識というものに住みつきやすいのだ。その人のメンタルが強いか弱いかの話ではなく、ヒトはそういうふうに作られている。

まず、この思考回路を壊すには「自分は本当はなんでもできるのだ」と許可を出すことが一番大切なことらしい。(これが一番難しいことなのだけど、、)

本当は好きなことややりたいことが出来るし、もしできないと思っているならなぜできないのか理由を見つける。自分が勝手にそう思い込んでいた可能性は十分にある。できない理由がひとつ見つかれば、それをなぜ?それはなぜ?と自問自答を繰り返す。そうすると、やっぱり幼少期の体験と紐付いていることが多いらしい。

ひとつでも、どんな小さなことでもやりたいことができたら、とても嬉しくなって充足感を得られる。小さく、たくさん繰り返すことができるようになったら、気付けば「どうせ自分なんか回路」が壊れかけていくことに気づく。

小さい頃のわたしは、今よりもやりたいことを「やりたい!」と素直に思って、周りに伝えていなかったかな?今できないことを勝手に「〇〇だから」と決めつけていないかな?

少しずつ、子供の頃の「あれしたい、これしたい」の気持ちを取り戻して、充足感に包まれますように。もう一度あの頃の「おてんばだった私」を思い出してみる。




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