生きるって削ぎ落とすことなのかもしれない
新国立美術館で開催されている「李禹煥 (LeeUfan)展」に行ってきた。小さな気付きがあったのでメモメモ。
正直、名前を最近聞いたことがあるなという程度で、どんな作品を出されているのかも知らずに行った。休日に美術展に行きたいな〜と思い立ち、そういえば開催されていたなと気軽な気持ちで行くことに。(同じく六本木で開催中のセーラームーン展とすごく迷いった、対照的すぎるけど。)ウーファンさんは中国人かなと勝手に思いこんでいたら、韓国出身。17年ぶりに日本での個展だそう。
感想を一言で表すと「ああ、もしかして、生きるって削ぎ落とすことなのかもしれない」。
正直途中までは「、、なにか物が置いてあるだけ、、?」とか「え、なんでこのキャンバス何も描かれてないの?」などが率直な気持ちだった。それらの作品は、観る人を黙らせる潔さや信念を感じられるほどの佇まい?空気感?を放っていて「シンプル」というと軽く聞こえるかもしれないけど、今まで観たアートの中で一番「無」に近かった。
今回は回顧展なので作品も時系列順に並んでおり、80年代の10年間の作品から、次の10年間の作品はこうなったのだなと、最初の「ものが置いてある」という"状態"から次々と派生されていく作品たち。ウーファンさんの空間や時間に対する考え方の変化によって作品の様相が変わっていく。正直、作品を勉強した訳ではないので解説はできないけれど、見終えたあとのはっきりとした感情はあった。
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半年ほど前から本当に洋服を買わなくなった。ミニマリストを意識したわけでも、節約せねばと意気込んだわけでもないんだけど。
普段から洋服は一本のつるし棒にハンガーでずらっとひっかけて収納してるのだけど、そこにびっしりと窮屈そうに並んでいる洋服たちを見るとなんだかモヤモヤ?イライラ?するようになってしまって。そこからかなり捨てたり、ラクマに出品して半分以下に減らした。おかげで今夏のお買い物は、毎年消耗品として買うユニクロのUTと、少しお値段高めな春夏用ストールのみ。ストールは本気でおばあちゃんになっても使うつもりでいる。
なにか、ものに対して「絶対に長く愛用してやるぞ」というある種の執着心が生まれてきた。そこから派生して、ものを「収納する」という行為を見直したり。洋服同士の間隔を空けることで、私自身もすっきりとした気持ちになれることも分かった。洋服も心なしか居心地が良さそうに収まっている。
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ものの在り方、空間との関係をテーマとした作品に触れていくうちに、何かが研ぎ澄まされていくような、凛とした気持ちになっていた。ああ、もしかしたら私の洋服や空間に対するモヤモヤの原因はこういうことだったのかと答えをくれたような感覚もあった。そして、これはもの(マテリアル)だけじゃなくて、仕事や感情など無形なもの、身の回りのありとあらゆる事柄に対して当てはめることができる感覚なんじゃないかな、と。
この時の感覚を忘れたくなくて、作品集も帰りに購入した。この本を手に取るたびに今日の潔さを思い出したいな〜なんて思う。
私自身これからどんなものと、どのように関わっていくのか、楽しみになった。そして香川県の直島に李禹煥美術館があるとのこと。より圧巻な作品を目にする事ができそうなので、一度足を運んでみたい!
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