猫のご飯の正体
ウチの牛舎には猫が11匹住み着いている。黒猫が7匹。トラネコが4匹だ。
毎日決まった時間になると、餌のカリカリと余った牛乳を求めて可愛らしく足元をウロウロし鳴き喚く。
ご飯以外にも、少し椅子に腰かければ「撫でろ人間」と膝の上に乗ってきては勝手に暖を取るのである。
酪農家に携わることになって、まず直面するのは
『死』
死ぬのは可哀想、という同情の気持ちだけを持ち合わせた人や、
まぁ死ぬのは仕方ないよね、という端的な気持ちを持ち合わせた人は酪農家をやっていく上で苦労するだろう。
まず前者は、毎回牛が死ぬごとに「可哀想だ」と泣いていては精神が持たない。
こう言ってはなんだが割と当たり前のように牛は死んでいくので朝、牛舎を覗いたら死んでいた、とか。
「あーもうこいつダメかもなぁ」と思って牛舎を後にし、数時間観察しに来たら死んでいた。とか。
割と当たり前のように死んでいくので、一つ一つの死に悲しんで泣いていてはキリがないからだ。
そして後者の「仕方ないよね」と思う人。
生き物なので死んで当たり前なのでその考えを否定するわけではない。
しかし、本当に仕方ないから死んだのだろうか?
観察不足なのか?栄養不足なのか?内臓の病気か、カルシウムが足りていなかったのか、心臓発作なのか。どこかしらで人間が何か手を施してあげられたはずなではないか。
もう少し早ければ、もう少しこうしてあげていたら、これを投与していたら。
旦那や義両親は、いつもそれで悩んでいる。
そして、どうしたら事故や見落としを減らせるか考え、手間を増やして観察する。手間を増やして安全に隔離してあげる。
生き物だから仕方ないよね、と安易に捉えてしまったら酪農家は潰れてしまうのだ。
話は変わって、私が初めて『死』を見たのは出産の時だった。
夜中、旦那の携帯に電話がかかる。
「逆子か、分かった」
そう言って旦那はベッドから飛び起きて、着替えて出て行こうとする。
当時私は出産を見たことがなかったので、
「付いてってもいい?」
「うん。あんまり時間ないから、早めに」
そう言って真冬の夜中2時ほどに出ていった。
牛舎までは車で数10分。長く感じた。
着いた時には義両親は既にいて、子牛ももう生まれていた。
グッタリとしてヌメヌメして動かない。
義両親がひたすら叩いたり水をかけたり、逆さまにして振ったり人工呼吸器を着けたり慌ただしくしていた。
旦那を車から降りるなりすっ飛んでいき、その中に加勢して子牛を助けようとしている。
私はただ見ているだけだった。
牛舎に住み着いた野良猫が「こんな時間に珍しいな人間」とでも言いたげに私に近寄ってきたので、私はそいつを撫でることしか出来なかった。
10分もしないうちに義両親と旦那3人の手が止まり、だらんと倒れた子牛を全員で見つめた。
シン、と静まり返った牛舎。
誰も何も言葉を発さない。発さなくても全てが伝わってくる。
目の前で死んだのだ。先程までギリギリ生きていたその命は、今この目の前で死んでいったのだ。
お産とはキラキラしていて、素晴らしい新たな生命の誕生なのであると勝手な想像をしていたがそんな事は無かった。
今ここで奇跡が起きてこの子牛が息を吹き返さないか、などと願うほどに虚しかったことを覚えている。
これが私の初めてのお産見学だった。
もう一つ、死を目の前にした事がある。
それは高齢のおばあちゃん牛で、やせ細り、足腰が脆いためフリーストールの牛舎で何度も転んでは全身を打ち付けアザと膿だらけの牛だった。
以前の記事でも書いたように、牛は立たなければ死んでしまうので足腰の弱いおばあちゃん牛でも頑張って立たせていた。
旦那もそのおばあちゃん牛に付きっきりで世話をしていた。ヨボヨボだが可愛い牛であった。
しかし身体に限界はくる。もう何度も起こしても立たず、何をしても動けなくなってしまった。
やせ細りガリガリで膿だらけのアザまみれな身体は隔離され、しばらくすると獣医さんがおばあちゃん牛の元へやって来た。
そして、酪農経験の浅い私に獣医さんはこう言う。
「良いもんじゃないから、あっち行ってな」と。
言われた通り少し離れた所へ行って獣医とおばあちゃん牛の様子をを見ていた。
今からおばあちゃん牛に行うのは『安楽死』だ。
静脈に薬品を注射し、意図的に殺すのだ。
膿とアザだらけで肉の無い牛は売り物には出来ない。
まだ健康で若い牛であれば肉が付いているので食用として連れて行かれるのだが、今回のおばあちゃん牛は食べるような部分がほとんど無いため牛舎内で殺された。
後でおばあちゃん牛を見に行った時はブルーシートが全身にかけられ、何も見ることは出来なかった。
後で聞いた話。
「あのおばあちゃん牛みたいなガリガリの牛って、どうなると思う?」
久しぶりに帰って来てた弟がこう言った。
「知らない、どうなるの?」
「でっかいミキサーみたいなのに入れられて、バラバラにされたら、犬とか猫の餌になるんだって!」
へー、そうなんだ。と言いながら私は牛舎に住み着いた11匹の猫たちが、一生懸命カリカリを食べているのを見下ろした。
「何見てんだよ」と見返す猫。
なんでもないですよ。と私は頭を撫でてやるのだ。