【歴史】「光る君へ」がもっと面白くなる(5)〜平安貴族の官位
令和6年(2024年)のNHK大河ドラマ
「光る君へ」
をよりわかりやすく理解するために、登場人物などを紹介しています。
第1回目は、全体の登場人物を紹介
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第2回目は、
3人の天皇(冷泉、円融、花山)を紹介。
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第3回目は、
道長の祖父や伯父世代の藤原氏を紹介しました。
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第4回目は、
ドラマに登場する道長の親兄弟や親戚の藤原氏を紹介しました。
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さて、ドラマを見ていて、気になったのが
「正一位」とか「従三位」とか、貴族の位。
この位階、平安時代の「光る君へ」だけではなく、
戦国時代や幕末を舞台にした大河ドラマでもよく登場する呼称ですね。
この「位」は、明治時代以降も残っています。
最後の将軍、徳川慶喜は、
徳川幕府の瓦解後、無位無官となりますが
明治5年(1872年)、改めて「従四位」に叙され、明治21年(1888年)には、「従一位」に昇叙した、なんてエピソードが、普通に書かれております🤔
更になんと、
令和4年(2022年)に暗殺されてしまった
安倍晋三元首相も「従一位」を贈位されておりました🎖️
(単純に知らなかった)。
明治時代どころか、令和の現在でも
「栄典制度」として、形は変わりながらも「位階」は受け継がれている訳ですね。
「へぇ〜そうなんだ」なんて思いましたが、
そもそもドラマを見ていても「官位」がよくわかりません。
そもそも「官位」とは、公家の「位階(位)」と「官職」を指す言葉。
そこで、今回は「位階」「官職」について記してみます。
■位階
「位階」は、役人の身分(ランク)を現す「位」のこと。
藤原道長(柄本佑)のご先祖、藤原不比等が定めた「大宝律令」(701年)の際に整備されたそう。
「正一位」から「少初位下」まで
下記の30段階に分かれています。
【公卿】
①正一位
②従一位
③正二位
④従二位
⑤正三位
⑥従三位
【殿上人】
⑦正四位上
⑧正四位下
⑨従四位上
⑩従四位下
⑪正五位上
⑫正五位下
⑬従五位上
⑭従五位下
ここまでが、いわゆる「貴族」となります。
「正なんとか」の次に「従なんとか」となり、
「四位」以降は、更に「上」「下」が付きます。
この従五位下以上の貴族が、
天皇が暮らす清涼殿への昇殿を許されています。
平安時代におけるセレブ中のセレブが
「貴族」と言う訳ですね。
【地下人】
一方、「位階」が「六位」以下の者は
「地下人」と呼ばれる下級官吏。
まぁ、現代風に言えば、ノンキャリや下っ端の役人みたいなイメージですかね。
これも細かく、身分が分かれています。
⑮正六位上
⑯正六位下
⑰従六位上
⑱従六位下
⑲正七位上
⑳正七位下
㉑従七位上
㉒従七位下
㉓正八位上
㉔正八位下
㉕従八位上
㉖従八位下
㉗大初位上
㉘大初位下
㉙少初位上
㉚少初位下
なお「初」は「九(9)」となりますから
「位階」のランクは1〜9ランクまであるということです。
■公家と公卿は違うの?
「お公家さん」という呼称でお馴染みの「公家」。
これは、「武家」に対する名称として生まれました。
要は「公家」とは朝廷や天皇に仕える者たちのことを指します。
「公家」の中でも「五位」以上の位階を持つ人
従五位下までが
「貴族」または「殿上人」と呼ばれ、
更にその上、最上位の「一位」から「三位」の位階を持つ人が
「公卿」と呼ばれる、最高権力者となります
(もちろん、その上に君臨するのが「天皇」です。)
よって、
「公家」の上に「貴族」がいて、
更にその上が「公卿」という
構図となる訳です。
「お公家さん」が全て「貴族」という訳ではないのですね
(;^ω^)。
■中央の行政組織〜「二官八省」
確か高校時代の歴史の授業で聞いたことがある
「二官八省」。
律令国家における、中央の行政組織のことですが、
大まかに
天皇の下に、2つの「官」があるので「二官」。
①神祇官(祭祀を司る)
②太政官(政治全般を司る)
そして、この太政官の下に
下記の8つの省があります。
この辺りは、現代の省庁に実に似ていますね。
①中務省(天皇の公式の仕事、詔書や叙位など)
②式部省(学校、文官など)
③治部省(葬儀、仏事、外交など)
④民部省(国民の管理、租税など)
⑤兵部省(軍事)
⑥刑部省(裁判や司法権)
⑦大蔵省(国家予算)
⑧宮内省(天皇の私生活)
各省には、4等級からなる役人が務めていて
①卿 (要は局長)
②輔 (要は部長)
③丞 (要は課長)
④録 (要は係長)
という役職で呼ばれます。
紫式部の父、藤原為時は式部省の丞だったそう。
今で言う、文科省の課長みたいな仕事でしょうか。
式部省の丞の娘だったから「紫式部」という訳です。
昨日(2024.3/17)放送の「光る君へ」では
為時(岸谷五朗)が政変に巻き込まれ
「式部の丞を解任された」と青ざめていました😱
役所をクビになったということですね💦
本人も意図せぬうちに派閥争いに巻き込まれ、
リストラされてしまったお父さん😫
いつの世も、勤め人は辛いですね😮💨
■律令制度の官職
●公卿会議
朝廷の最上位にある、公卿による最高会議。
今で言う「閣僚会議(閣議)」みたいなものです。
●公卿会議の構成メンバー
公(こう)
①太政大臣
②左大臣
③右大臣
④内大臣
各1名。
この4名が貴族の最高権力者となります。
但し太政大臣は名誉職的な意味合いもあり、
いない場合もあります。
現在の「光る君へ」では、
太政大臣が藤原頼忠(橋爪淳)、
左大臣が源雅信(益岡徹)、
右大臣が藤原兼家(段田安則)
が登場しています。
卿(けい)
⑤大納言
⑥中納言
⑦参議
大納言は1名。中納言は3名。参議は8名。
一応、官職の基本定員は16人ですが、
大納言と中納言は、他に「権官」を置く事ができます
(「権大納言」とか「権中納言」)。
よって、「公卿」とは
「公(こう)」の大臣4人と
「卿(けい)」の大納言、中納言、参議などからなる、
約20名程の貴族を指します。
●官位相当
官職と位階は連動していて、位によって就ける官職が決まっています。
トップの太政大臣の位階は、正一位、従一位。
続く、左大臣、右大臣、内大臣は、正二位、従二位、
大納言や中納言は、正三位、従三位
の位を持つ公卿が就任します。
●公卿会議の下位の官職
この「公卿会議」の下のメンバーが
⑧少納言
⑨左弁官
(中務、式部、治部、民部省を担当)
⑩右弁官
(兵部、刑部、大蔵、宮内省を担当)
更に細かく分かれていますが、仕事としては、
各省の業務と役人の監督が主な任務で、
四位や五位の貴族が任じられるようです。
現代と同様、貴族間の出世競争は激しく、
出世の登竜門となる官職とも言えます。
ここまでが「殿上人」とされる高級役人の官職。
こうして見ると、現代の受験戦争やら出世レースのルーツは、平安時代だったのかもしれませんね💦
■蔵人頭とは
ちょうど、先週(2024年3月10日)の「光る君へ」で、花山天皇が、兼家の策略で出家し、一条天皇が即位しましたね。
そして、兼家の息子・道兼(玉置玲央)が、
その功により「蔵人頭」に任じられていました。
「蔵人」とは、律令制の官職に寄らない、
いわば天皇の私設秘書官。
天皇を支えるそのトップが、「蔵人所」と呼ばれる役所の長官にあたる「蔵人頭」です。
円融天皇の蔵人頭は、藤原実資(ロバートの秋山)が、
花山天皇の蔵人頭は、藤原義懐(高橋光臣)が
務めてました。
蔵人頭は「四位」の貴族の中から選ばれます。
因みに、「源氏物語」に出てくる「頭中将」は
「蔵人頭」と、天皇を警護する「近衛中将」を兼任しているから、そう呼ばれる訳です。
■戦国時代の官位
昨年「光る君へ」の前の大河ドラマは
「どうする家康」が放送されておりました。
天下を取った豊臣秀吉も徳川家康も
従一位に叙されています
(共に亡くなった後は、正一位を贈位)。
ドラマ内で家康は「内府どの」と呼ばれていましたが、「内府」とは律令制度の「内大臣」の意味。
同じく、石田三成は治部少輔の官職に任じられ
「治部」と、
大谷吉継は刑部少輔だったので
「刑部」と呼ばれていました。
織田信長も、徳川家康も「右大臣」に任じられましたし、秀吉も「関白」でした。
戦国時代には、官位も有名無実化されていましたが、その称号だけは、平安時代のものがしっかりと残っております。
さて、花山天皇が藤原兼家の陰謀によって、出家させられた「寛和の変」。
この時、若き藤原道長の官位は何だったのか?
そしてこの先、権力の階段を昇りつめる道長が
どのような位となり、どのような官職となるのか、
この先の展開も楽しみですね。
以上、今回は「平安時代の官職」を紹介しました。
当時の呼称が未だに呼び続けているのに驚き😳
そうえいば「お局さま」だって、
平安時代からおりますしね💦
こういう細かな部分がわかると
より一層ドラマが楽しめます😸
「光る君へ」を見る際の参考になれば幸いです。
今回も長くなり恐縮です。
m(_ _)m
それでは、また。
(2024年3月18日投稿)
もっと詳しく知りたい方へ
「公式ガイドブック」
▼
光る君へ 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)
※Amazonのリンク、画像が投稿できなくなりました〜💦