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平塚正幸なしにアフターコロナは語れない。4年前の混乱を振り返る

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私は平塚正幸氏を支持しているわけではない。しかし、どうしても彼に対して特別な興味を抱かざるを得ない自分がいる。その理由を述べることで、彼の存在と「コロナ禍」を巡る私自身の思索を整理してみたい。


「ロック」な選挙戦略


平塚氏の名を初めて知ったのは、2020年の参議院選挙だった。一般的な政党が「経済再生」や「社会保障」など多岐にわたる政策を掲げる中で、彼はただ一つの主張、「コロナはただの風邪」で選挙戦に挑んだ。


その一点突破の姿勢は異様でありながら、ある種の「ロック」を感じさせた。当時、私自身も「コロナとは何なのか?」と迷い、疑問を抱いていたため、彼の発言に耳を傾けざるを得なかった。


選挙活動中、彼はYouTubeライブを積極的に活用し、自身の主張や日常を発信していた。その配信は、単なる政策説明に留まらず、視聴者との双方向の対話がメインであった。


私はそのライブ配信を思わず毎日観てしまった。彼の言葉には説得力というよりも、一種のカリスマ性があった。


もちろんマスメディアよりも踏み込んだ医学や公衆衛生学上の議論が行われていて、4年経った今様々な政治家が彼の主張を踏襲していると思われる。


また、鋭い指摘やユーモアに富んだ話しぶりは、彼がただの「異端者」ではないことを示していた。


メディアとの戦い


当時驚くほど多くの人々が彼の名前を知らなかった。友人に話しても、東京や神奈川ですら知らない人が少なくないのだ。


コロナ禍におけるメディアの報道姿勢もまた一つの問題である。彼らは「集まるな」と言いながら、自らの番組制作のために大勢を集めている。こうした矛盾を平塚氏のような人物が指摘することは、単なる批判以上に重要な役割を果たしていたのではないだろうか。



アフターコロナへの移行


現在、コロナが「ただの風邪」となる未来が見えつつある。アメリカではワクチンやマスクの義務を撤廃する動きが進み、コロナへの対応が日常の議論から外れつつある。日本もその流れに追随し、第5類感染症に格下げされた。この変化の中で、私たちは何を学び、何を残すべきなのか。


平塚氏のYouTubeライブは、彼の「異端的」な主張を支える重要なプラットフォームだった。彼は毎日配信を続け、視聴者に対して直接訴えかけた。その中で彼が示したのは、既存のメディアや権威に頼らずとも、人々にメッセージを届ける方法の一つの形だったと言える。


終わらない問い


私は平塚氏を支持することはない。しかし、彼が2020年に掲げた「コロナはただの風邪」というスローガンや、それを背景に展開された活動は、当時の社会が抱える矛盾や不安を浮き彫りにした点で無視できない存在であった。


彼のような「異端者」によって提起された問題を、私たちはどのように咀嚼し、社会に生かすべきなのだろうか。


この問いに答えることなく、「忘却」の波に飲み込まれることこそが、最も恐ろしい未来なのではないだろうか。






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