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美容外科医が献体をSNSにアップして炎上しているが、これからの医療の中心が美容医療である事も間違いない話

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「医師免許」の一元的な運用に疑問を抱く声が、最近ますます増えてきている。たとえば、美容整形しか経験のない医師と、救命救急や内科などの一般医療を行う専門医が同じ免許で語られることに違和感を覚える人は少なくない。


特に、美容外科医が短期間の研修を経てメスを握る現状や、病院の当直業務に参加する可能性があることに対し、「患者として絶対に当たりたくない」という意見も聞かれる。


このような声の背景には、「医療」という言葉が持つ本質的な意味についての議論がある。命を救う行為と、美容や自己実現のための行為を同じ枠組みで語るべきなのか。


あるいは、医師資格そのものを分化すべきなのか。こうした問題提起は、現代医療が直面する大きなテーマのひとつだといえる。



医師という職業は、ある種の神聖性を持つ社会的役割だと考えられている。国家資格によって選ばれた者が人々の命を預かり、社会保険料という形で支えられるこの構造は、医療を一種の宗教儀式のように捉える視点を生み出している。


この「神殿」としての医療の中で、美容整形はやや異質な位置にあるといえるだろう。なぜなら、美容整形は命に直接関わる行為ではなく、むしろ自己実現や生殖に関わる人々の欲望を満たすための医療であるからだ。


過去を振り返ると、1980年代の「鬱病バブル」や2000年代の「発達障害バブル」といった現象が起こり、医学の焦点が変化してきたことがわかる。



これらのバブルの背景には、診断基準の変化や、より軽度な症例への医療提供があった。これにより、医療が本来の役割である命の維持から逸脱し、社会に対して「赤字」を生む存在になってしまったのではないかという指摘もある。


同様に、美容整形やアンチエイジングといった分野は、人々の欲望を満たすために特化していく一方で、医療全体の縮小傾向を示しているように見える。



図は四つの部分に分かれており、左上から順に「精神障害」「発達障害」「病気(身体障害)」「非モテ」について描かれているものである。


大きな矢印は、個人の障害傾向を示している。障害という概念は人間によって定義されるものであり、ある人が障害者か否かを明確に区別することは困難である。むしろ、障害はグラデーションとして分布しているものと捉えるべきである。



・左上の図(医療A/鬱傾向)
・中上の図(医療B/発達障害傾向)


鬱病バブルや発達障害バブルについて考察したものである。重要な点は、鬱病や発達障害のバブルが生じた原因が診断基準の変化にあるということである。図に記された55や65という数字は偏差値を示している。


かつて精神医学が、鬱病偏差値65以上の重度な患者を主に対象としていた時代において、精神医学は確実に人類の役に立っていたといえる。しかし、偏差値55から65程度の軽度な躁鬱をも対象とし、投薬治療を行うようになった結果、医学は人類にとって「赤字」を生む存在になった。このように要約できるのが本論の主旨である。



・右上の図(医療C/病気傾向)


先に「身体障害傾向」について触れたが、これは図を描いた後に考えたものであるため、図には記載がない。しかし、病気と身体障害は非常に類似しており、通常の人間と同様に身体が動かないという点が重要な判断基準であるといえる。


さて、この病気傾向についても、先に述べた鬱病や発達障害と同様に、「偏差値55-65」の人を治療対象とすることは、医療が生み出した一種のバグではないかと考える。


具体例として挙げるのがコロナである。コロナウイルスに感染したことによる風邪は、病気傾向の偏差値で言えば64程度に相当する。社会が「赤字」を生んでいる状況は、例えば家族の前ではマスクをつけない一方で、赤の他人の前ではマスクをつけるという日本国民の標準的な態度に明確に表れているといえる。



・横になってる下の図(医療D/非モテ傾向)


躁鬱や精神障害を克服すれば人は大統領になれる。発達障害を克服すれば人はエリートサラリーマンになれる。さらに病気を克服すれば人は不死身になれる。このように、医療がこれまで叶えてきた人々の欲望は、次第にその規模や志向性が縮小していることにお気づきであろうか。




ここに挙げた三つの欲望は、徐々に多くの人々が望む平均的な願望へと変化している。医療は人間の身体に直接関わり、ときに生死に直結する課題に取り組む営みである。そして、人々は医療を通じて多様な期待を抱き、自らの願望を実現してきたといえる。


では、医療の未来はどうあるべきだろうか。医療はこれまで、人々の身体的な問題を克服し、時には命を救う役割を果たしてきた。しかし、現代の医療はより多くの人々の平均的な欲望を満たす方向にシフトしつつある。


これが医療の「小型化」を示しているのかもしれない。重要なのは、医師や医療従事者がこの変化を受け入れ、新しい役割を模索することだろう。


医師の資格を分けるべきだという意見は、医療の多様性と専門性を尊重するという意味で合理的だといえる。同時に、医療従事者は自己の専門分野に固執するのではなく、社会の変化に適応し、6000万年前の恐竜絶滅以降に別の形で進化して生き残った「鳥」のような存在を目指すべきである。


未来の医療は、個々の命に寄り添いながらも、社会全体の利益に貢献する形で進化していく必要がある。


医療の縮小が避けられないとしても、その過程で新たな価値を創造することが可能だ。この新しい価値を追求するためには、医師自身が「神の代理人」という特権意識を捨て、謙虚に自らの役割を再定義することが求められる。





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