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自称アーティストに邪魔されてばかりの虚しい作家活動にこれ以上の意味はあるのか?【雑記】

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私は時折、夜一人で部屋にこもり、胸の奥から絞り出すような叫び声をあげた。まるで誰にも届かない暗闇の中に向かって、必死に自分の存在を訴えかけているかのようだった。「誰か、僕を理解してくれないのか!僕の努力や痛みを、ただの自己満足と一緒にしないでくれ!」と、自分を追い詰めてしまうほどの葛藤が彼を苦しめた。私が望むのは、ただ評価や称賛を受けたいからではない。本物のアーティストとして、自分の手で何かを創り上げ、真剣に表現を追求していきたいという切実な思いがある。しかし、それが「好きなことをしているだけ」と見られ、「他の皆と同じ」だと一括りにされるたびに、私の心は傷つき、夢を追いかけることさえ恐ろしいものに思えてきた。「僕の努力を、どうして誰も分かってくれないのか?」と私は心の中で叫び続けていた。日が経つにつれて、私は自分の中に二つの感情が生まれていることに気がついた。一つは、周りの「自称アーティスト」たちへの嫌悪感だった。彼らは、表現の深さや苦しみを理解せずに「自由」を叫び、自分だけの世界に浸っているように見えた。そしてもう一つは、自分の夢に対する疑念だった。こんなに孤独で、誰にも認められない戦いを続けることに、一体どんな意味があるのか?その答えは見つからないまま。


それでも、私は諦めたくなかった。自分がここまで築き上げてきたもの、自分だけの表現と向き合ってきた時間を、簡単に投げ出すことができなかった。だからこそ、私は毎晩、胸が張り裂けるような思いを抱えながら、誰にも聞かれることのない叫びを上げ続けた。私は人生に迷っていた時分にYouTubeで活動していた。周囲には「自称アーティスト」と称する人々が集まり、自分の道を阻むような存在になってしまった。彼らは自由奔放な生き方や独特なスタイルを謳っているものの、実際には自分自身の技術や表現力を深める努力をあまりせず、アートというものを軽く扱っているように私には見えた。そのような人々と接するたびに、私は本物の創作の道と、単なる自己満足の世界の境界がぼやけていくのを感じた。努力もなしに、ただ「個性」を強調し、「アート」を盾にして自分の行動を正当化しようとする彼らに対し、苛立ちと同時に苦しみも覚えた。私自身は自分の技術を磨きたいと真剣に思っている一方で、周囲の「自称アーティスト」たちはその努力を理解せず、「私の権利を侵害したので訴訟します」と軽々しく言う。本当に表現したいものを形にするためには、自分なりの真剣なプロセスが必要であり、それを他人が簡単に押し付けることはできないからだ。


さらに、私の苦しみは単なる苛立ちだけにとどまらなかった。「自称アーティスト」たちの存在は、私の周囲の人々にも影響を与え始めた。私の家族や友人でさえも、「アートなんて言ってないで、人様に迷惑をかけず生きなさい」と、私が真剣に取り組んでいる姿勢を軽く見るようになってしまった。私が努力を続け、挫折を経験しながらも自分の技術を高めようとしている姿を、誰も理解しなくなったような気がしていた。私の中には、「結局、自分は孤独なのだろうか?」という疑念さえ生まれてきた。本物のアーティストとしての道を歩みたいと願う私にとって、周囲の軽い言葉や表面的な行動はますます自分の足を引っ張る存在となり、彼の熱意や決意を試すようなものだった。しかし、私はその中でも自分を見失わずにいるべきだと感じていた。





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