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AI生成画像に著作権が認められると言うなら、その画像から切り抜かれた任意の画像にも著作権が認められなければならない

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人工知能の生成技術が進展する中で、AI生成物に対する著作権の扱いは現代社会が直面する法的・倫理的課題の一つである。


AI生成画像に著作権が付与される場合、その一部を切り抜いた画像に対しても独立した著作権を認めるべきである。


これは単なる権利の延長ではなく、AI生成物が持つ特性と、人間による創作行為の本質に根ざした結論である事を説明する。




通常の画像とAI生成画像の違い


AI生成画像は、アルゴリズムと膨大なデータの組み合わせに基づいて生成される。これは、伝統的な人間の創作物とは根本的に異なる特性を持つ。


AI生成画像は人間の直接的な創作意図を欠き、データと計算のプロセスから生み出される。そのため、画像そのものには固定された意味や価値が内包されていない。


言い換えれば、AI生成画像は「完成された創作物」というよりも、「素材」「可能性の集合体」としての側面が強い。


現状の法律でAI生成画像に著作権を認めるか否かは、裁判例も少なく、グレーという所である。しかしながら今回はAI生成画像に著作権が認められたと仮定して議論を進める。


AI生成画像は、観察者や利用者の解釈を通じて初めて意味や価値が生まれる。特に、視覚的な切り抜き行為を通じて、元画像から特定の要素を選び取り、新たな意味や美的価値を形成することは、人間の感性や思想が直接反映される重要なプロセスである。このプロセスは、単なる機械的操作ではなく、創作行為そのものである。




創作行為としての切り抜き


通常の著作物における切り抜きは、元の意図や表現をそのまま引き継ぐ場合が多く、独立した著作権を認めることが困難である。しかし、AI生成画像における切り抜き行為は、それ自体が新たな創作物の生成に相当する理由がある。


AI生成画像は、しばしば膨大なディテールや予測不能な構造を持つ。この中から特定の部分を切り抜く行為は、視覚的混沌の中から秩序を見いだし、新たな構成を創造する行為である。このプロセスは、元画像を素材とした新たな芸術的表現であり、独立した著作権を主張する根拠となる。


元のAI生成画像が「予測不能な構造を持つのか」どうかを人間が判定することはできない。なぜならAI生成画像は0,1の集合体であり、究極的に言えば画像ではないからだ。1次元のコードが著作権を持ったとして、それを2次元的に解釈し一部を独自に再編成する行為が切り抜き行為であると言える。


切り抜き者は、元画像のどの部分を切り抜くか、どの角度や比率で再構成するかといった選択を行う。これらの選択は、切り抜き者の思想、感性、目的に基づくものであり、創作性を有する。


また、元画像全体では意図されなかった新たな視覚的体験や物語を切り抜きによって生み出すことができる。このような切り抜き行為は、単なる物理的操作を超えた独自の創作行為といえる。




著作権制度との調和


著作権制度の目的は、創作者の権利を保護し、文化的な創造性を促進することにある。この観点から、AI生成画像の切り抜き者に独立した著作権を認めることは、著作権制度の本質に合致している。



AI生成物を切り抜くことで新たな表現を生み出す者が、その創作活動に対する正当な権利を認められない場合、創作意欲が損なわれる可能性がある。


独立した著作権を認めることで、AI生成物を基にしたさらなる創作活動を奨励し、文化の多様性を広げることができる。



AI生成画像は、切り抜きや加工を通じて初めて具体的な価値を持つ場合が多い。そのため、切り抜き者に著作権を認めることは、AI生成物が持つ潜在的な価値を引き出し、最大化する手段として機能する。



AI和解派として


AI生成画像の切り抜き行為に独立した著作権を認めるべきであるという主張は、AI生成物の特性、人間の創作行為の本質、そして著作権制度の目的に基づくものである。



AI生成画像は人間の意図を直接反映したものではないため、切り抜き行為が新たな創作性を付加する役割を担う。その創作行為を評価し、保護することは、AI時代における文化の発展を支える重要な仕組みとなるだろう。このような法的整備は、AIと人間の共同作業による新しい創造の未来を切り拓く鍵となる。






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