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本郷菊坂、時を超えた散歩

本郷界隈では菊坂、行き止まりの路地がそこかしこにあるのがお気に入りです。一葉旧居跡と炭団坂上の常盤館跡の位置関係を確かめに行きました。現場3回目です。

散歩の途中では地図を見ないことにしています。大まかな地形と方向を頭に入れ、行きあたりばったりがいい。そのせいか、1回目はどちらにもたどり着けず、2回目でやっと一葉旧居を見つけ、炭団坂は眺めただけに終わりました。

南北に走る本郷通りを尾根線として、本郷台は東西に傾斜となっている。東は東京大学から湯島、低地の不忍池へ。西は春日と後楽園、先は神田川。

春日通りとほぼ平行して菊坂があり、台地の傾斜をさらに深く切り込む。菊坂に沿って下道があり、すぐ近くに大きな段差、崖になっている。下道から入る路地のひとつが炭団坂に通じ、上には子規のいた常盤館跡。もうひとつの路地の奥に一葉旧居跡がある。

以上は下調べで頭にいれてあった。

今回は炭団坂上から。崖の先端にある左の建物、これが常盤館跡。これを巻くように細道があり、右に崖下を眺めることができる。

「ここ、見たことがある、はじめてじゃない!」

崖下を左に見ながら歩いた覚えがある。一葉旧居をさがして、うろうろ歩き回ったときのことだ。

松山藩の常盤館、子規が住んだのは明治20年。子規が眺めたであろう崖下には残念ながら一葉はまだおらず、ここでは時を共有していない。一葉が菊坂に越したのが明治23年、4年後に「大つもごり」を出した、22歳のときだった。

炭団坂の階段を下って下道、路地の入口の民家が建替えており、一葉も使ったという井戸、青色の手押しポンプがよく見えるようになった。奥に階段があり、突き当りは崖の壁、それに沿って人がすれ違えないほどの細道が左右にある。

この細道、Googleマップにはありません。国土地理院のGSIマップにはちゃんと載っています。私道でしょうが、一応「道」のようです。

崖と家屋との間の細い路地を右に行くとまもなく道路に出た。

「えっ?金田一京助旧居跡だ」

路地の出口には屋根つきの門があり、住所表示が「本郷4丁目31」、個人の家のものとしか見えません。ここから逆に路地に入っていこうという勇気は出ません。

坂を上って崖の上、下に見える家の屋根を眺めながら左の細道を行くと、炭団坂上がすぐ。

「前回もここを通ったんだ」

子規と一葉はタイムスリップできれば大変近いところにいた。
GSIマップで調べると、炭団坂上から降りて下道を一葉旧居跡まで、歩いた道で約120m、直線距離で約90m。高低差は約8m、一葉は仰角約5度で常盤館を見上げたことになります。

時を超えて、歴史を地図と組み合わせる。本郷菊坂はまだ3回目、そのたびに新しい発見があり興味が尽きません。