【書道有名古典シリーズ⑤】狂った草書。~書道2.0その頃~
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今回は、みんな大好き?狂った草書。「狂草」と呼ばれる自由奔放な書を書いた2人について取り上げます。
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懐素(かいそ)・張旭(ちょうきょく)
懐素(かいそ)・張旭(ちょうきょく)。
書道をやっていない人からしたら誰、人の名前・・・?筆者のWindowsパソコンでも変換すらままなりません。
ですがこの2人、書道史上、豪放磊落な書、酔っぱらい書で結構有名だったりするのです。
時代は、中国の唐。ちょうど顔真卿(709-785年)と同じ頃です。顔真卿と言えば、書道の神様、書聖・王羲之(303-361年)の流れを一旦断ち切り、新しい書を生み出した革命児。
顔真卿の頃まで、書道は行政文書や手紙などの実務・実用として用いられることが常であった時代。しかし、顔真卿の頃からは言うなれば「作品としての作品」も増えていった、まさに「書道2.0」なんて話を動画内でも話しました。
顔真卿とほとんど同時代の懐素・張旭の2人は特に、草書体(くずし字)を得意としていました。
張顛素狂/顛張酔素/顛張狂素
懐素・張旭の二人は、相当な酒飲みであり、酔った勢いで書をしたためることで名が知られています。その書は後世にもとても大きな影響を与えました。
張顛素狂(ちょうてんそきょう)
顛張酔素(てんちょうすいそ)
顛張狂素(てんちょうきょうそ)
それは彼らのためにこんな四字熟語?ができるほど。
・文字の大きさの大小
・線の太細
・一行の文字数の変化
・筆圧の強弱
書道作品を作るときのこれらほとんどの要素を、音楽で言えば「フォルテッシモ」「ピアニッシモ」「アダージョ」「アレグロ」のような緩急を全て入れ込んだ書を一作品に閉じ込めた、ということになるでしょう。そんな意味では音楽的、交響曲的!
今でこそ、さまざまな書表現がありますが、まだまだ表現の幅が乏しかった時代を思うと、彼らは相当な異端者であったのだろうと思われます。
懐素『自叙帖』、張旭『古詩四帖』
さて、その二人の書がどのようなものであったのか。
まずは、有名な懐素の『自叙帖』を取り上げてみましょう。
これは他人が書いた懐素の学書の経歴を書き記した自己紹介のような文章が書かれています。
のびやかでおおらかで豊かな筆遣い。文字の大小に富み、一行の文字数にこだわりなし。基本的には穂先で書いているが、突如それまでとは異質な線を紛れ込ませたりします。
酔っている・・・酔っているからできるのかもしれないが、相当な名手、策士・・・!!!
続いて張旭。これは、詩人・庾信(ゆしん 513‐581年)と詩人・謝霊運(しゃれいうん・385‐433年)の詩が書かれたもの。
筆者の個人的な感想としては、そんなに酔ってないのではないのかなぁと思ったりもします。結構実直に筆をおろして、後先見据えて書いている雰囲気がするのですが、どうでしょう・・・?
普通もできる
ちなみに、磊落さのみが懐素ではなく、『草書千字文』はおとなしく実直な草書を書いています。別名を『千金帖』と言い、一文字千金の価値があるとされ名付けられたのだとか。
酔っぱらいの書、作品としての作品
王羲之の蘭亭序もそうですが、なんだか書の作品は酔っぱらって書いたものが残りがち・・・?なのかもしれません。
酔っぱらうと気が大きくなる、全般動きが雑になる、というのがまあ一般的なところかと思いますが、名手たる名手が何の気なしに気負わず書いたもの、「卒意の書」は魅力的なものと言えるのかもしれません。
この頃、7~8世紀には「作品としての作品」、言わば自己表現としての書が既に確立していたことになります。
・行政文書として優れている書
・書の名手の気負いない日常的な能書
・書の名手の作品としての佳作
書道作品の全てが既にこの頃にあったと言っても過言ではないかもしれません。
懐素も張旭も、ただの酔っぱらいではないことだけは確か。
参考:「顔真卿-王羲之を超えた名筆-」「書家101」石川九楊・加藤堆繁
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