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幼い子どもが文字を習得するとき

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ



この話のYoutube版はこちら↓↓


子どもの文字が好き!!


先日、息子(5歳)が通う保育園で、パフォーマンス書道をしてきました。
新年のお書き初めイベントです。

2024年『寿 きんがしんねん』竹内恵美子書

今年はパフォーマンス後に、園児たちが
お名前を筆と墨で書くというイベント
にも参加させていただきました。

筆者は、文字を覚え始めた子どもの文字が本当に大好き。昔、当時4歳だった姪に、その文字見たさに文通を申し込み、さらに姪の文字を臨書(書き写していた)していたほどです。

子どもの文字の例
「のびのび子育て」応援サイト【nobico/のびこ】

以前、そんな私の姿を見て、お字書き道TALKSのYouTube動画「野口シカさんの回」で、「その好きさってポルノじゃない?(広義に)と、相方タナカに指摘され・・・。一瞬絶句してしまったのですが、あぁそうかもしれない、と妙に納得してしまったタケウチであります。(性的にと言う意味ではないです、念のため。)私にとっての感動ポルノ的な。

野口シカさんがこの文字を書いたときは既に老年になってからですが、私はこの文字も無論大好きです。


何故子どもの文字は魅力的なのか


ここからは筆者の推論です。

何故子どもの文字は魅力的なのか。
それは、文字の「完成形」から離れている、ことが挙げられます。

文字というものには「完成形」が存在します。記号としてのルールと言っても良い。
それに行きつく前の混乱によってその「完成形」から距離がある状態、「完成形」と差異が生じている状態に興奮している、とも言えるでしょう。

また子どもは文字の布置、つまりレイアウトについても、「完成形」「ルール」からかなり逸脱している場合が多いです。文字の大きさや縦書き横書きなんてことは考えずにとにかく思いついたまま書きつけます。
「そんなところにその大きさで書くのかぁ~~~!」とまたまた胸を鷲掴みにされてしまいます。

私の子どもの文字に対する興奮は、ポルノで言えば児童ポルノや素人ポルノ・・。いやでも、性的にという意味では全くありません、念のため(2回目)。それを書いた本人に直接的に興味があるわけではなく、その文字が興味深くてたまらないのです。こういった人は書道家の中に、少ないけど一定数いるはずです。

また書道家の方に子どもの文字の魅力の何故を問うたことがありますが、「上手く書こうという衒いがないから良い、気持ちが純真だから良い、一生懸命さが伝わる」と言われたことがあります。もちろんそういった手慣れない一生懸命さや無垢さが紙面ににじみ出るとも思います。(私としては、この答えは精神論過ぎるかなと思っていますが・・)

何はともあれ、「ルールを逸脱している」(そして一生懸命書いている)という点に魅力が潜んでいるのだと思います。

そんな文字を覚え始めの子どもの文字が愛おしくてたまらないのです。ついでに、自分に子どもが産まれてからは、子どもがどうやって文字を獲得していくか、にもとても興味があります。


子ども文字のフォント


子どもの文字を興味深く思っている人がいることは、それがフォントになっていることからしても明らかです。

MOTHER2 どせいさんのもじ

こちらはかの有名なゲーム「MOTHER2」のどせいさんの文字!

どせいさん
出典:MOTHER2 & EARTH BOUND全セリフ集

これは、制作者である糸井重里氏の娘さんが幼い頃に書いていた文字を元に考案されたと言われています。「え」も「ん」ももちろん絶品だし、「ゆ」とか「5」も垂涎や・・・。


ようじょフォント

そして、何か面白いフォントないかなあとネットサーフィンしていて見つけたフリーフォント「ようじょふぉんと」。インストールすれば誰でも使うことができます。
このフォントのスゴイところは、文字によって「F8」キーで変換すると、子どもあるあるの間違い文字も収録されていること。この裏技知っていましたが、「す」「ま」くらいしかやったことがなく、今全文を見たのでとても興奮しております(笑)

画像右側がようじょふぉんとの裏文字

ゲームの裏技ぽくてそれにもきゅん。この文字は子どもの文字をそのままトレースしたものではなく、それっぽく大人が書いているらしいです。
鏡文字はあるあるとして分かりますが、「ね」そっちから結ぶのーーー!?

「え」「れ」「ん」はどせいさんぽくもあるので、これはどせいさんを知っている大人の仕業か、あるいはこのくねり過剰現象は子どもあるあるなのか・・・。


文字習得期、文字はどう見えているのか


文字が読める・書けるようになるのは、3歳~5歳くらい(もちろんムラあり)でしょうか。カタカナの方が造形的に簡単に思えますが、ひらがなの方が目にする機会が多いからか、最初に教えられるからか、まずひらがなを読めるようになるケースが多いと思います。

同タイミングでひらがなを書けるようになる子もいれば、読むのはできても書くのは全然できない、という子もいます。
ちなみに我が倅は後者で、読むことと書くことというのは、全然異なる力なんだなあと思います。

縦棒と横棒がクロスするだけの『「十」を書いてみて』と言って、それが「プラス」や「じゅう」と読むと分かっていても書いたのはコレ↓↓

アフリカ大陸・・・?
※最近はちょっと書けるようになってきました

書き初めの後に保育園の子どもたちにそれぞれ自分の名前を書いてみてもらったときにも、「読めるけど書けない」という子は一定数いて、『カイジ』で言うところのぐにゃあみたいに文字が見えているのかなあ・・・?それだと「読む」こともできないか。

おそらく、「読めるけど書けない」という時には、「見た目の図形とその意味」は結びついているが、運動が追いつかないということだと思います。


書き順は存在しない、図形として文字を見る


また、文字習得期の幼い子どもには「書き順」の概念は全くありません。まずは「図形」として文字を捉えているので、「書き順」を知っている大人からすると「なんじゃそりゃぁ~~!」なんて書き方で書くことも多く見られます。
私たちが使う漢字・ひらがな・かたかなは、基本的に線は左から右へ、上から下に進みます。そのことさえ知らないわけです。

これは日本語を習得しようと、初めてひらがなを書く外国人にも見られるようなので、老若男女、摩訶不思議な図形(文字)を目の当たりにしたときの自然な反応なのかもしれません。

私たちだって次の文字を見ても書き順なんて毛頭分かりません。

アラビア語で「仲間」と書いてあります。


鏡文字に見る左右反転


先ほどの「ようじょふぉんと」の裏文字でも見られる「鏡文字」。左右が反転し、「さ」が「ち」になってしまうあの現象です。

その理由は、右左がよく分かっていないから、左脳と右脳がアンバランスだからなどとよく言われますが、ちょっとピンとは来ません。

鏡文字が起きる確たる原因は分かりませんが、とにかく子どもの文字あるある。文字を覚えたての時期から小学校低学年くらいまで見られる現象です。

書き順も筆順も、大人としては気になって補正したくなるところですが、大半の場合はそのうち自然に直るので、正しい書き方を時に提示しながら気長に待つのが吉かな、と筆者は思っています。


「かすれ」や「はなれ」はダメ、ぜったい


また、保育園で筆文字を書いていたとき、筆者として驚いたことがあります。それは、多くの子が「かすれる」ことをとても嫌ったのです。

墨の付け方が甘ければ掠れるのは当然。しかし、かすれた部分を皆必死で塗ろうとするのです。

私がなぜ驚いたかと言うと、「かすれてはいけない」という命令は小学校の習字の授業で刷り込まれることだと思っていたからです。でも、そうではなく、文字を習っていない多くの子どもたちがかすれることを極端に嫌う。(もしかしたらご家庭で文字を教えているかもしれないけれど、大半の場合筆文字で教えているとは思えない)

また「よ」などの文字で、一画目の横と、二画目の縦が離れてしまうことも多くの子が嫌いました。その部分を埋めようと筆でぬりぬり。それで余計変になって、訳が分からなくなってしまう。

「かすれてもいいよ」「離れていても大丈夫」と私が言っても聞く耳持たず。

おそらく、文字が「読める」子どもたちの頭の中のイメージには、手書きではなく、活字のような揺れのないしっかりした文字があるのではないかと思われます。そのため、そのしっかりした文字を眼前にに現れなければ、そうなるように補正する、ということをするのでしょう。

私の主宰する書道教室の小学生の教え子に「多少かすれても大丈夫」と言っても、彼らが極端にそれを拒否するのは、「学校の先生に言われたから」というのもありつつ、「頭の中のイメージの文字と異なるから」なのかもしれません。

また一方で初心者の大人の方も「かすれ」を嫌います。それは学校の習字の影響もありつつ、そもそも皆の頭の中に「活字のような揺れのないしっかりした文字」が基準としてある、からなのではないでしょうか。

そもそも、「かすれが筆文字の味」ということ自体が、「かすれていない、活字のようなしっかりした文字」を前提としている発言のようにも思います。


「書道は”一般的な文字”から離れようとする行為である」


以前、AI書道の記事で、私たちはこのように定義しました。

”一般的な文字”とは”標準的な文字”であり、それは例えば教科書体の活字のような、皆の頭の中にある所謂”きれいな文字”のイメージを指します。

書道はそういった”一般的な文字”に文字の範囲で肉付け等をして離れようとする行為と言えるのではないか。

となると、私たち、書道をやる人もそうでない人も、頭の中には”一般的な文字”が存在することになります。

現在生きている人たちはほぼ明治以降生まれ。明治に楷書体か基本の文字となったことを考えると、楷書体のきれいな文字(おそらく”美文字”はこれに少し手書きの味付けをしたもの)が基準であるわけです。
だから、一般的に「字が上手い/下手」ということも存在してしまうわけです。

そうすると、書道が一般の人から敬遠されがちな理由も分かる気がします。なにせ皆の頭の中にある基準的なきれいな文字から”わざわざ”遠ざかろうとするわけですから・・・!



幼い子どもたちは、頭の中には”一般的な文字”を手に入れようとしている真っ只中。まずは視覚的に認識をし、次に運動としてそれを表現する。おそらくそれらは別々の段階で習得される。その過程では様々な障壁があり、トラブルが起きる。
それも次第に、頭の中の”一般的な文字”の範囲へと収束していく。

そんな感じなのではないかな・・・。


長くなりましたが、うちの子、「こんな文字書いてるよ!」などありましたら是非コメント欄にて教えてください。

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