酔っぱらいの下書きが1700年後も最高峰!?書聖・王羲之『蘭亭序』
超有名書道古典シリーズ第二弾!今回は、たぶん書道作品の中で最も有名と言っても過言ではない王羲之「蘭亭序」!
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「蘭亭序」プロファイル
文字を書いた人:王羲之(おうぎし 303-361年)(353年,50歳の作。59歳没)
文章を書いた人:同上
時代:東晋(317-420年) ※日本は古墳時代頃
文字数:28行324字
書体:行書体
この書が書かれた背景:
春の麗らかな日、王羲之主催で、各界の名士が集う曲水の宴(詩を詠んで酒を飲む会)が開かれた。素晴らしい日に、素晴らしい人物たちが会した。
この会の終わり、作られた詩が王羲之の元に集められた。その詩集を作るべく、王羲之は詩集の序文を一気呵成にしたためた、それが「蘭亭序」。(内容は後述)
特筆すべき事項①:
言わずと知れた超有名の名品だが、真筆(あるいは真蹟,本人が書いた本物)が残っていない。それどころか、王羲之の書いたものは一つも真筆が存在しない。にもかかわらず、王羲之の書はいつの時代も愛され、且つ最高峰の名品として重宝されている。
真筆が存在しないのは、後の太宗(第2代皇帝 598-649年)が王羲之の作品を寵愛し、自分の棺に埋葬してしまったため。
残っているのは後世の人の臨本(真似して書いたもの)あるいは摸本(原本を敷き写ししたもの)のみ。上の画像の書は「張金界奴本」と言い、虞世南(558-638年)の臨書と言われる。
特筆すべき事項②:
いわゆる「率意の書」。「率意」の反義語は「作意」。つまり、率意の書は、上手く書こうなどの気負いや衒いがなく、書き手が自由且つ自然な状態で書いたもの。「蘭亭序」も文字の太細、大小、行の揺らぎなどがごく自然に表れている。
王羲之はあくまで草稿として書き、書き損じや書き足しなどもあるため、後に書き直しをした。しかし、何度やってもこれ以上の書が書けなかったのだとか。
王羲之という人物
書道界で一番有名、一番名高い、一番学ばれている、それが王羲之。王羲之亡き後から約1700年、中国においても日本においても、おそらくどの時代の書道家も王羲之を通らない人はいない。
書を単に文字を書くという政治文書の記録に留めず、私的な文章(詩)を書き、書に喜怒哀楽を持ち込んだ”芸術”として確立した最初の人物とも言える。「王羲之の文字にあらずんば文字にあらず」、まさに「書聖」。
最高官職に就いた政治家であるものの、政治とはあまり馴染めず、地方官となって文人たちとの交遊を楽しんだと言われている。
鵞鳥(ガチョウ)が好き。
七男の王献之(おう けんし344-386年)も書を能くした。王羲之とともに二王(羲之が大王、献之が小王)と言われる。
「蘭亭序」全文
漢文
永和九年 歳在癸丑 暮春之初
會干會稽山陰之蘭亭 脩禊事也
郡賢畢至 少長威集 此地有崇山峻嶺 茂林脩竹
又有清流激湍 暎帯左右 引以為流觴曲水 列坐其次
雖無絲竹管絃之盛 一觴一詠 亦足以暢叙幽情
是日也 天朗気清 恵風和暢 仰観宇宙之大 俯察品類之盛
所以遊目騁懐 足以極視聴之娯 信可楽也
夫人之相興 俯仰一世 或取諸懐抱 悟言一室之内
或因寄所託 放浪形骸之外
雖趣舎萬殊 静躁不同 當其欣於所遇 暫得於己
怏然自足 不知老之將至 及其所之既倦 情随事遷
感慨係之矣 向之所欣 俛仰之閒 以為陳迹
猶不能不以之興懐 况脩短随化 終期於盡
若合一契未嘗不臨文嗟悼 不能喩之於懐 固知一死生為虚誕
齊彭殤為妄作 後之視今 亦由今之視昔
悲夫故 列叙時人 録其所述 雖世殊事異 所以興懐 其致一也。
古人云 死生亦大矣 豈不痛哉 毎攬昔人興感之由
後之攬者 亦將有感於斯文
現代語訳(筆者の意訳含む)
永和九年癸丑の年、春(三月)初めに、会稽山のかたわらにある「蘭亭」で禊事(曲水の宴)を開きました。
大勢の知識人、年配者から若い人まで集まりました。さて、ここは神秘的な山、峻険な嶺に囲まれているところで、生い茂った林、そして見事に伸びた竹があります。
激しい水しぶきをあげている渓川の景観があって、左右に映えています。その水を引いて觴(さかずき)を流すための「曲水」(人口の小川)を作り、一同周りに座りました。
琴や笛などの音楽が奏でるような華やかさこそありませんが、觴が流れてくる間に詩を詠ずるというこの催しです。心の奥を述べあうには十分です。
この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がのびやかに流れていました。我々は、宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。
目を楽しませ、思いを十分に馳せる、そして(それを述べ合うのは)見聞の楽しみの究極といえます。本当に楽しいことです。
そもそも人間が、同じこの世で生きる上において、ある人は一室にこもり胸に抱く思いを人と語り合おうとし、ある人は、言外の意こそすべての因だとして、肉体の外面を重んじ、自由に生きようとします。
どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いもありますが、そのそれぞれが合致すればよろこび合いますし、わずかの間でも、自分自身に納得するところがあると、こころよく満ち足りてしまい、年をとるのも忘れてしまうものです。自分の進んでいた道が、もはや飽きてしまったようなときには、感情は何か対象に従って移ろい、感慨もそれにつれて左右されてしまいます。以前あれほど喜んでいたことでも、しばらくたつともはや過去の事跡となることもあります。
だからこそおもしろいと、思わないわけにはいかないのです。まして、ものごとの長所・短所は変化するものであって、ついには人の命も終わりが定められていることを思えばなおさらです。
昔の人も死生こそ大きな問題だと言っています。これほど痛ましいことはありません。昔の人は、いつも何に感激していたか、そのさまをみていると、割り符を合わせるように私の思いと同じでした。いまだ嘗て、文を作るとき、なげき悲しまないでできたためしはなく、それを心に言いきかせる術はありませんでした。実際に死と生は同一視するなどということはでたらめです。
長命も短命も同じなどというのは無知そのものです。後世の人が今日をどうみるか、きっと今の人が昔をみるようなものでしょう。
悲しいではありませんか。こんなわけで今日参会した方々の名を並記し、それぞれ述べたところを記録することにしました。世の中が変わり、事物が異なったとしても、人々が心に深く感ずる理由は、結局は一つです。
後にこれを手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。
アンバランスのバランス
筆者が王羲之の書についてよく思うのが、アンバランスのバランス。これは書道の神髄、本質と言っても過言ではないのではと思っています。
現代におけるいわゆる「美文字」などは、中心軸が保たれ、ブレが少ない。しかし、王羲之の文字はアシンメトリー、線のバリエーションが豊か、同じ文字を同じ形で書かない、のが基本です。
左右対称を顔を美人と言ったりしますが、左右非対称でも愛嬌のある目を引く文字、それが王羲之のやり口(と言ってもほとんど無意識)です。
文字は基本的につらつらととめどなく書き進めるもの。その流れの中で、すべての字形を予め決めきって書くことはほぼできないでしょう。
書き手の身体性がありありと見て取れる、且つ不思議で魅力的なバランスの字で構成されたのが王羲之の書なのではないかと思います。
これは上手いの?価値の創設者
書聖王羲之。当然、超絶上手いはず。
書道をやらに人にとって、書道の「上手い」というものは限りなく分かりづらいものだと思います。筆者は書道家の端くれではありますが、古典作品を見て「上手い」と思うものもあればそうでないものもあります。
王羲之は書道界において最も崇められる人物であることは間違いありません。「王羲之よりオレの方が上手い」なんてことは100人中少なくとも99人は言えないはず。
あ、でも「王羲之よりも孫過庭の方が、王鐸の方が上手い」という人はいそうな気がします。
「上手い」をさておき、何が王羲之を王羲之たらしめているのか。それは、王羲之が”自分”というものを書に持ち込んだ最も初めの第一人者だと言うことなのではないかと思います。「蘭亭序」が草稿であることを考えても、「これが素晴らしい」という基準が「己が現れた書」であることだから、なのではないでしょうか。
後世において名品の書を見比べたとき、時代の成熟を含めて良し悪しや好き嫌いは分かれるとは思いますが、それまでにない価値を先駆して打ち立てた者は、どのジャンルにおいても崇められるべき対象となるのだと思います。
王羲之の書は至極スタンダードなものとして学ばれます。現代において脳天を打たれるような刺激はないものだったとしても、逆にスタンダードであることの凄みを感ぜざるを得ません。
現代において文字はあまりにも身近で使い尽くされたものですが、その過程を拾い上げてみるのは興味深い!!
と思っていただけたのなら、これ幸い。
参考文献:「書家101」石川九楊・加藤堆繁、「王羲之蘭亭序 張金界奴本」清雅堂
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