【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3)
日本の数字の歴史のその3。
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江戸時代の大ベストセラーの算数本!
江戸時代には、寺子屋の普及で読み書きそろばんを多くの子どもたちが学びました。寺子屋は民間の学習塾なので、教える側の大人たちもしっかりと算数を学ぶ必要がありました。そこで用いられた算数(算術)の鉄板書が『塵劫記(じんこうき)』です。
『塵劫記』では、
一、十、百、千、万、億、兆・・・などの数の単位
掛け算の九九
面積・体積の計算
両替の計算
布や米の売買の計算
など、身近な暮らしに関わる計算方法が詳しく、分かりやすく書かれていたと言います。例えば、ねずみの夫婦の子どもがまた子どもを産むと何匹になるかなどのいわゆる「ねずみ算」も塵劫記が初出なのだとか。
現代でも『塵劫記』の現代語訳版や関連本が多く出版されています。
江戸末期。いよいよアラビア数字へ!
古代に中国から漢字が伝わって、長らく漢数字や十干十二支を用いてきたわけですが、鎖国を解いたと同時に「アラビア数字」が欧米から入ってきます。今の私たちからしたら、これぞ数字、なじみ深い「1234567890」です。
和算(わさん)から洋算(ようさん)へ
現在私たちが一般に学ぶ数学は、主に西洋式の「洋算(ようさん)」です。これに対して江戸末期頃から明治初期まで、日本で使われていたのがそろばんを用いた「和算(わさん)」。
目まぐるしいほどあらゆる方面の西洋化が起こった明治初期。しかし、日本数学会によれば、それまでの和算がいきなり取って代わられたわけではなく、和算の発達の素地の下に、洋算が入ってきて発展していったという感じのようです。
洋算とともに入ってきたアラビア数字は、全国に小学校ができたことも手伝い、忽ち広まっていきました。ちなみに私たちが知っている筆算は西洋のものです。
これは明治8年の『筆算通書』という、言わば洋算の基礎的な教科書。縦書きの漢数字交じりの本文からいきなりアラビア数字の筆算が現れます。なんだかアラビア数字は洗練されたもののように思えます。
というわけで、日本の数字を追ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
もう少しだけ引っ張って、次回はアラビア数字と漢数字の使い分けについてまとめてみたいと思います。
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