沖縄が琉球王国だったとき、日本語の平仮名を日本よりも使っていた
さて、とっても私事ですが、2月に沖縄旅行に行ってまいりました。NHK朝ドラ「ちゅらさん」の舞台となった小浜島へ。(石垣島から船で30分ほどの離島)
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沖縄の歴史をざっくりと
そういえば、沖縄ってどんな文字を使っていたのでしょうか。以前、日本語の文字の歴史を追いましたが、この歴史と同じ・・・?
その前に沖縄の歴史をざっくりと把握しておきましょう。
沖縄が正式に日本となったのは1879年(明治12年)のこと。江戸の初期頃から日本の侵攻が始まったようですが、そもそもは全く別の国でした。
言葉は琉球語、文字は日本の平仮名
琉球で使われていた言語は、琉球語。日本本土の日本語と系統を同じくしているため日本語の方言という捉え方もありますが、普通には話が通じないほど本土の日本語とはかけ離れたものでした。
しかしながら使っていた文字は、日本の平仮名。(少し漢字も使っていました。)と言っても、現在私たちが使っている一音一字のひらがなではなく、明治以前に使われていた一音に複数の文字があてられた昔の平仮名(漢字の草書体をよりくずしたもの(現在では主に書道の世界において「変体仮名」として残っている))です。
平仮名は表音文字。琉球語の音を表すのに平仮名は適していたのでしょう。
平仮名と漢字を用いた、つまり現代の日本で主に使われている文字表記(漢字平仮名まじり文)と同じです。ただ、先述の通り日本語とはだいぶ異なる琉球語で書かれているので、平仮名や漢字が音として読めたとしても、その意味を理解することは琉球語を知らなければできません。
琉球国では日本国よりも平仮名を使っていた
先ほど挙げた資料は15~17世紀頃のもの。この頃日本国は、室町時代~安土桃山時代。その頃もちろん日本国でも平仮名は広まっていましたが、平仮名は主に手紙などプライベートに用いられるものでした。公文書などのお硬いものは和様漢文といって、日本風に書かれた漢字のみの文で書かれていました。
中世(11世紀後半~16世紀頃)の文字の使い分けはざっとこんな感じ↓↓
琉球は明と外交する以外は、公私ともに漢字平仮名まじり文を使っていました。(明は外交時に漢文でないと受け入れてくれなかったからだとか。)つまり、琉球国では日本国よりも平仮名を使っていた、ということになります。
沖縄の一部で使われていた独自文字「カイダ文字」
琉球には漢字や平仮名以外にも独自の文字がありました。琉球の一部、特に与那国島で使われていた象形文字「カイダ文字」。起源は定かではなく、17世紀後半以降(19世紀に入ってからできたという説もあり)に作られたもので、商売や納税などの際に使われていたようです。
まさに紀元前の古代中国の甲骨文字やその後発展してできた篆書体のようです。中国ではこの象形文字を元に発展させ漢字を生み出し、文章を書ける文字体系を作り出しました。それが何と3,4世紀頃には完成していたというのだからスゴイことです。
ところで1879年(明治12年)、琉球王国は廃止され沖縄県となります。明治政府は沖縄も含め、教育的にも全国を統一していく政策を取ります。1900年(明治33年)の小学校令では、それまで複数あった平仮名を現在の様式の一音一字のひらがなに定めました。
カイダ文字もこれを境に次第に消滅していきました。文章が書けるような文字体系に発展することはありませんでした。
イースター島のロンゴロンゴもそうですが、島には独特の謎めいた文字が生まれがち・・・なのかな。
同じ日本と言えども、正式に日本となったのは1879年と比較的最近である沖縄。今回見てきた以外にも、興味深い文字の歴史がまだまだありそうです。
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