#16『使える地政学』佐藤優
最近自作曲のレコーディングに没頭していて、全然本を読んでいなかった。眠る前に少しだけ、と思うのだけれど、目で字を負いながら頭の中で音楽が鳴っている。それでその時点までにおいて録れているものを聴いている内に気持ちよくなって眠ってしまうという具合だった。
いまいち夢中になれる本がなかったというのもある。今、何冊か摘まみ食いのように読んでいる。この1年半くらいは結構な割合で歴史と政治についての本を読んでいたのだけど、最近は文学に戻りたくなっている。ようやくそういう心の余裕が出てきたみたいだ。それも新しいものではなく古いのが良い。心、というか、内的な時計の針を落ち着かせてくれるから。
などと言いつつ、昨日読み終わったのは地政学の本である。表題通り「使える」かどうかは別として、それなりに勉強になった。
地政学は、地理的条件が政治的選択を制約する又は可能にする、という観点に基づいて国家間の交渉や対立や依存の関係などを評価する学問。例えば「こんな政治家が出たら状況は必ず…」みたいな考えを私たちは持ち易い。そう期待もしたい。しかし実際にはスーパーヒーローが現状を変えてくれる訳ではない。それぞれが立っている場所はそれこそ将棋盤のマス目のどこそこのようなものであって、そこではどういう振る舞いが求められ、何を第一に考えなければならないかということは実は、考えるより先に決定されている。
また例えばこういうふうに考えてもいいかもしれない。オーケストラの中でそれぞれのパートがある。そのパートでいる限り、そのパートの役割や制約に縛られる。どんなに頑張ってもヴァイオリンの音域に達するファゴットは現れない。そのファゴット奏者がどんなに上手だとしても、ファゴット以外のことは出来ない。
こんなふうに国家間のことを考えると、というかそれが現実なので、それは解釈の問題ではなくまさしくそのように認識しなければならないのだけれど、日本がこういう形でこういう場所にあり、隣国がこれこれ、という時点で、やはり考えなければならないことも、のしかかってくる重圧も決定されている。
地政学の祖、マッキンダーの次の言葉が引かれている。
今ウクライナが大変だけれど、ウクライナのこともこの本に書かれている(ちなみに2016年刊行)。地政学的に、そういう位置づけだからもうほとんど運命なのである。ちなみに私は、だから仕方ない、見捨てろ、と言うのではなく、今回の件、本当に胸を痛めて何度も泣いている。
ウクライナの場合、西のNATO、東のロシアに挟まれているが、戦前はヒトラーのドイツとソ連に挟まれていた。役者は変わっても、対立し合う勢力に隣接して挟まれるという状況は変わっていない(し、変わらないだろう)。活断層のようなものだろうか。それが緩衝地帯になっている間は良いけれど、今回のようにNATOに入る入らないの話が先鋭化してくると(プーチンが勝手に先鋭化させただけだろうが)、もはや緩衝地帯ではなく、さっさと取らないといけない将棋の目に変貌する。悲劇である。
同様の地政学的緊張点として、本書では沖縄も挙げている。沖縄もやはりこの前の前の段階で既に複数勢力に挟まれて苦労してきた。琉球時代、清と日本に二重支配されていた。というのはここがウクライナのように両勢力からの半々の位置にあって、そして独立するには十分な力を持っていなかったからだ。今はアメリカが沖縄を手放すわけにはいかない。勿論、中国ににらみを利かせるためである。
つまり見張り台のようなものだろうか。戦国時代だったら山城のようなものだろうか。ここに立つと敵軍の動きがよく見えて、すぐに対応できる、みたいな場所である。だから手放せる訳がない。沖縄の人たちにも本当に気の毒だけれど、沖縄があの場所にある以上、そして他の国々が今の場所にある以上、沖縄の待遇が改善することは極めて難しいということを認めざるを得ない。
だからもし沖縄が独立するなんてことがあっても、経済規模からして自前の力で国家運営できるはずがないから、琉球時代に逆戻りだろう。日本と中国の狭間で、更にそこにアメリカも新しい役者として入ってきて、やはり二重三重に仕えなければならなくなる。まさに地政学的運命である。
「だから仕方ないんだよ」は言いたくない。しかし仕方ないものは仕方ないという現実もある。そこを認識した上で多分初めてまともな議論が出来るのだろうけれど、こういったことを無視して、「沖縄がかわいそうだ」「日本政府は卑怯」「米軍は出ていけ」みたいなことだけを言って現実を急に動かしても、変えたはずの現状は実は過去に逆戻り、むしろ更に悪くなっている、なんてこともあるだろう。というか避けられないだろう。自分のそして相手の限界を知り弁えた上で、次の対話に進むことが望まれる。
それにしてもどうして人間は争い合うのだろうか。分からない。地政学で理解できる国際問題は色々ある。しかしなぜ人間がそうまでして問題を再生産し続けるのかということはどうしても分からない。ウクライナが非常に微妙な場所に位置していることは理解できる。しかしなぜウクライナの人々が殺されなければならないのかは全然理解できない。
そういう意味で、地政学は「使えない」