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#25『診療室にきた赤ずきん』大平健

 精神科医師が患者の心の問題を昔話で解く、という趣旨の本。童話や民話、昔話が、実は人間の苦悩と葛藤そして問題の克服を最大公約数的な形で素朴に描いている、ということは以前『昔話の本質』の感想文でも書いた。 このようななぞらえは古くはフロイトから始まったことだろう。
 この現象の背後にあるものは何だろうか。それは「あなただけじゃないよ。皆その問題を悩んでいる」ということを知ることによって得られる安堵感が、心に癒しをもたらすということではないだろうか。それが見知った人から言われると「おまえに何が分かるんだ」「おまえより俺の方が辛い」みたいな反応をしがちだし、もっと大変な人の話を聞けば「私の悩みなんてゴミみたいなものだ」と思ったりするけれど、過大評価も良くないように過小評価も良くない。ゴミではないのである。決して。
 そういう訳で「あなたの他にも同じように苦しんで戦った人、いるよ」というのに最も適した話者は誰かと言えば「昔々…」の語り手なのであろう。
 著者はそのように自分の境遇になぞらえ勇気や展望を与えてくれる物語を「自分の物語」という。それは時と共に、心の推移と共に変化していく。私の場合、民話ではないけれど『三国志』のあの一場面とかあの一場面が心の支えになったことがある。自分をその登場人物として自分を見失わないで済んだ。一番持続力の長かった物語は何だろうと思うと『ファイナルファンタジー4』だったような気がする。いや『聖闘士星矢』かな。私は子供時代に絵本や童話に恵まれずに育った。11歳くらいでようやくお話らしいお話に出会うようになり、生かされた気がする。
 このように物語と人間の関係は非常に深く強いが、しかしながらこの本自体はいまいち歯切れが悪い。確かに一例ごとの患者の置かれてる状況は、何らかの昔話に合致する。そしてそれを医師が患者に伝えることで患者は答えの糸口を見つける。だいたいそこで一話ごとが終わるのだが、私のカウンセリングの経験からすると「これで終わるほど簡単じゃないだろう」。
 勿論、この方はベテランであるし、沢山の経験をお持ちなのは分かる。しかし「あっ」と患者の目が輝き、心を洗う…その後また曇る、更にまた曇るというようなことは頻繁に起きる。意地悪い言い方かもしれないが、その昔話が患者の心に与えた影響は、医師が思っているよりもずっと小さいのではないか?と私は感じた。
 全ての話についてではない。全部で12話あるのだが、最後の4話については非常に深くその因果関係や効果のほどを感じることが出来た。しかしそれ以外のものについては、昔話との照合から最後の患者のひらめきまでの間に飛躍があるように思えてならない。または「そこはわざわざ昔話を引用する程のことだろうか」と思う部分もあった。まあ、全体的にカウンセリングに対する基本姿勢がだいぶ私とは違うようなので、そんな所にとやかく言っても仕方ないのだが。しかし昔話から人生の導きや教えとする、という趣旨の本であれば、やはり更なる掘り下げが可能であろうと思うし、また必要でもあると思う。

 何が足りないのだろうと考えると、著者の方は患者の境遇と童話をぴったり重ねて見ているのだが、患者の方はそうではないように思える。確かに医師の示した一致点は、飲み込んでいる。しかしそれは一致する箇所を示されたから合点がいっただけで、本当に分かっているのだろうかという点が疑わしい。それが私が感じる「最後の飛躍」だと思うのだが。
 私自身カウンセリングしているとどこかのタイミングでお客様が「分かりました!」となるのだけれど「怪しいな…」と思ってまだ終わらせない時がある。更に暫く話しているとやっぱり分かっていないみたいなことはよくある。「分かった!」が出た時点でカウンセリングを締めれば成功とは言えるだろうけれど、それは私には促成栽培のように思える。
 この本は事例集として、無理に患者の反応まで入れなければ良かったのではないだろうか。「この人の置かれた状況はこうだった。これはまさに何々の昔話のようである。昔話ではこういういきさつを辿る。それはそれが心の自然な動きだからだ。しかしこの人の場合そうなっていない」云々という分析に留めれば良かったのではないか。一話ごとにご丁寧に解決に持っていこうとする、表面的であっても解決まで見届けようとする姿勢のために、折角の題材であるにもかかわらず内容が薄くなっているのが残念である。
 その点、私が内容が濃く良いと思った最後の4話は、患者の理解が充分な深さにまで及んでいた。

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