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うにっき帳 vol.4 |自分史編|餅つき祭り


はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。先日始めたばかりの「うにっき帳」のvol.4を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
前回のテーマ「みんな違ってみんな良い?」は日記編で、前回終了いたしました。その記事はこちら

今回は、初の自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめました。
記事は、スマスパ企画さんの「紅白記事合戦」への参加させて頂こうと思います。楽しい企画をありがとうございます。そしてよろしくお願いします。

では、よろしくお願いします。白組参加です。


尚、内容の文章は常体で描いております。

  二〇一五年十二月三十一日 餅つき祭り

 人込みは嫌いなくせに、行列に並ぶのは結構好きだった。但し、並ぶ事によって、特別な何かを得られる場合に限る。だから、並ぼうと並ぶまいと味が変わらないラーメン店や、並んだからと言ってサービスが良くなるわけでもないアトラクションなどには並ぶ気にはなれない。
 その昔、札幌に住んでいた頃、ベスト電器が北海道に初上陸するという事でちょっとした騒ぎになった。開店初日には、パソコンやMOドライブ(何に使うのかは今でも知らない)が台数限定ながら一万円で販売されるという。私は、一万円のテレビデオがどうしても欲しくて、前夜から徹夜で並んだ。一緒に並んでくれた友人とトランプをしながら。
 
 二〇一五年の大晦日、とある神社で餅を無料配布するイベントがあるという話を聞きつけた。これは先着二百名限定で、早く並ばないと貰えないという人気のイベントらしい。私の胸は高揚感で一杯になった。これはきっと、餅を買えない窮民への施しの一環に違いない。そう想像すると、餅がどうしても買えないほどの貧乏でもないが、並ぶだけで貰えるものを逃す手はないと思い、結婚したばかりの妻を連れて神社へと向かった。
 二十三時に神社に到着した。すでに百人以上が列に並んでいた。本当に餅がもらえるのだろうかと、何度も自分の前の人数を数えてはため息をつき、割り込んで並ぶ不届き者には舌打ちをした。除夜の鐘がどこからか聞こえたが、私の心は一向に落ち着かなかった。
おまけにこの日は大寒波が来ていた。お揃いのダウンジャケットを着ていた私と妻は、寒風が吹くたびに、そこに背中を向けてしのいでいたが、手足は冷え、震えていた。
 そんな退屈でつらい時間の慰めとなったのは、後ろのカップルの会話だった。どうやら婚活で出会って初デートのようだった。打ち解けようと無理にフランクに喋っているが、それが敬語とミスマッチで、ぎこちない空気が伝わってくる。心の中で頑張れよと、上から目線で声援を送りつつ、ここは正月の食料を確保する場であって、デートには向いていないよと、やはり心の中でアドバイスを送っては、妻と目を見交わし、微笑みあった。
 零時になり新年を迎えた。正月一か月とは言わないが、数日分のお汁粉の具になりそうな餅はそろそろ配られるはずだったが、突然市長やスポンサーらしき人の演説が始まった。「引っ込め、こっちは寒いんだよ」と心の中で悪態をつくが、これも必要な儀式だと思うと諦めるしかない。
ようやく終わったと思ったら、続いて地元の人たちの踊りが始まった。どうやらこれも見ないと餅は貰えないらしい。気温は益々下がり、新妻と交わす会話は「まだかな」と「寒いね」ばかりになった。早く受け取って帰りたい。ガチガチと歯を震わせながら、ひたすら踊りが早く終わるように念じていた。
 踊りが終わり、やっと行列が動いた。前方の人が次々とビニール袋に入った餅らしきものを持って帰っている。やっと苦労が報われる。そう思って自分たちの番になり、袋をひとつずつ受け取ると、それがやけに軽い事に気づいた。
 ええ? 嘘? 神社を出て袋を覗いてみると、中には容器に入った五百円くらいの大きさの白い餅が二つ……。それだけだった。愕然とすると同時に、数日前、妻に「年明けの餅は神社で入手するから、買わなくていいよ」と軽はずみに言った自分を呪った。餅はその場で食べてしまい、お汁粉は初売りまでお預けとなった。

 そういえばベスト電器の時も、テレビデオは不人気で徹夜しなくても、翌朝早起きすれば買えたのだ。行列に並ぶにあたってはリサーチが大切と、身に染みて感じた。

さいごに

今回は自分史ということで、まとめてみました。いかがだったでしょうか。これからも過去を最大100年くらい(祖先の話も)書いていきたいと思っています。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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