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うにっき帳 vol.17 |日記編|幼稚園のクリスマス会:追記
はじめに
こんにちは、吉村うにうにです。うにっき帳、今回も日記編で、vol.16の「幼稚園のクリスマス会」の追記になります。前回の記事はこちら
では、はじめます
内容の文章は常体で描いております。また、日付は日記編と語彙増量編では下書きをした日、自分史編ではその事件が生じた日となっております。よろしくお願いします。
二〇二四年十二月六日 幼稚園のクリスマス会:追記
保護者の前で行われたクリスマス会の劇。息子は何となくだが羊の役をやり切っていた。昨年なら、教室から脱走していただろう。嬉しさと同時に、自分の幼稚園時代に行った劇が何だったかがはっきりわかった。
私は、羊飼いだった。園児全体を羊と羊飼い役に分け、一人の羊飼いに一頭の羊がついてくるというシナリオだったと思う。
劇でのパートナーになるはずだった羊は、当日来なかったらしく劇には居なかった。その事を知らされていなかった私は、すっかり狼狽して保護者の前で羊をひたすら探すふりをしながら時間が過ぎるのを待った。今思っても、辛かった。
あの劇も息子の劇も、キリスト誕生の時に、夜番をしていた羊飼いが遣いの者にキリストが生まれることを伝えられるシーンだったようだ。違う幼稚園で、親子で同じ劇をしていたのだと思うと、ちょっと感慨深いものがある。
しかし、私が通っていた幼稚園と息子のそれとは、教育方針が大きく違ったようだ。パートナーの羊が来ない事をどうして教えてくれなかったのだろう? 子どもというのは予定が急遽変更になると、混乱してしまうものなのに。
息子の通う幼稚園では朝礼の時
「今日は○○ちゃんが熱でお休みです」
と、休んだ子をその理由を添えて説明し、その子の回復を祈りましょうとまで言ってくれて、教室にいる子にも休んでいる子にも配慮している。私の行っていた園にはそんな優しさがあったのか? それは、相手役が居ない事さえも黙っていられたところで推して知るべしだと思う。
さいごに
いかがだったでしょうか。自分の幼稚園時代の劇が何を意味するのかがわかったことは収穫でしたが、その時代の先生への恨みが沸き上がってきました。しかし、文章にすることで、気持ちが整理できたように思います。書いて良かったです。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。