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吉村うにうにのちょっとだけ怖い話|#ちょっとだけコンテスト

こんにちは、吉村うにうにです。今回は、みょーさんのちょっとだけコンテストに参加させて頂こうと思い、記事を立ち上げました。こちらのコンテストです。表紙の画像はイカロスノツバサさんから頂きました。ありがとうございます。

ホラーややんちゃ自慢禁止のちょっとだけ怖い話コンテストということで、これならちょっとだけ怖いけれどみょーさんの条件に合うのではと思い、執筆してみました。

注意ですが、内容は先程アップした、月一純文の『類型』と同一で、こちらの作品はコンテストのフォーマットに合わせて作っただけです。同じ作品を間違って二度読んでしまわないようご注意ください(勿論何度読んで下さっても嬉しいですが)。この作品で何を意識して書いているか気になる方は、こちらの記事をご覧ください。

それではサブタイトルは『類型』です。

  吉村うにうにのちょっとだけ怖い話|類型
                  吉村うにうに
「突発、突発、気管支炎……。」
 白色の電灯が電子カルテの画面をちらつかせる中、研修医の宇似うには、担当患児の病名を呪文のように唱える。
 青と灰色のタイルカーペットが敷き詰められた、二本の廊下に挟まれるような形の孤島のナースステーションで、彼は画面を次々と切り替えて、三人分の病名を覚えた後は三人分の温度板を次々に広げる。
 温度板には、体温、心拍数、酸素飽和度が色違いのグラフになって現れている。
 彼は、内科、外科、麻酔科、産婦人科と、次々と様々な科の研修を受けているうちに、グラフの数字を読み取ることをせずに、グラフの形――特に体温――と看護師が特記した記述だけに目を留める習慣がついていた。
「突発は解熱、突発は解熱、気管支炎は解熱で咳残る。」
 長くなった呪文を繰り返しながら、首に巻いた聴診器を手に持つと、廊下を塞ぐナースの回診車や、元気になって走る患児たちを白衣をはためかせて踊るようにかわしながら、呪文を失くしてしまわぬうちに、担当する病室に向かって大股で歩く。


 数分後、不要な呪文を捨てると、別の呪文を唱えながら、誰とも目を合わせないようにナースステーションに戻った彼は、新しい呪文の言葉をカルテに記載する。
「突発、発疹軽快手と足。」と呟きながら、『肺音:異常なし。体温:正常。全身状態:良好。皮膚:手足に発疹残る。前日よりは軽快』
 カルテの確定ボタンを押すと、彼は次の呪文を呟きながら、先ほどと似たような決まりきった記載の他に、
『ご両親が退院の日程を相談したいそうです』
 と、上級医へ報告すべきメッセージも追記する。そして、気管支炎のページに移ると、
『肺音:軽度の呼気性高調性雑音あり』
 とリズムに乗ってキーボードを叩きつけるように打つと、彼は呪文を全て文字に起こした満足感に包まれる。
「化学物質過敏症(シックハウス)、急性気管支炎、喘息様気管支炎。」
 休む間もなく、次の患児の情報を画面から読み取って、呪文の暗記に移る。化学物質過敏症というレアな症例は、すぐに頭に染みこんでくる。だが、次の急性気管支炎と喘息様気管支炎という似たような病名に心を乱される。
 彼は、小児科研修に入る際に、似た疾患に異なる病名をつけた根拠を上級医に尋ねてみたことがあった。気管支炎と喘息性気管支炎と喘息様気管支炎、どれも呼気時の気管支からの笛を吹くような雑音が聞こえる同じ疾患に思える。その疑問は、彼が上級医から曖昧な答しか得るところがなかったので、もし患児の家族に尋ねられたら疾患名だけ答えようと、頭に詰め込んでいくのだ。
 彼は一度に三四名分の患者情報しか頭に入れておくことができない。かといってメモを見ながら家族に説明するのは失礼だと感じている。かつては一名回診しては電子カルテのあるナースステーションに戻る。だが、それでは上級医への報告時間に間に合わない。それで、担当十二三名の回診を四グループ程度に分けて行うことにしていた。このような、時間と頭の記憶容量を天秤にかけた上での、彼の編み出した回診方法だった。
 

 廊下の一番端にある四人部屋に辿り着いた。宇似は大きく息を吸ってから、おもむろにドアをノックする。その部屋の右奥に化学物質過敏症の女の子がいた。
 女児は九歳からだとは不釣り合いな、乳児用の柵付きベビーベッドに手をついて立っていた。
「回診です。咳はどうかな?」
 宇似は、機械的に聴診器のイヤーピースを耳に緩めに詰めて、聴診音と女児のベッドの隣のパイプ椅子に腰かける母親が何かを言う声の両方を聞き取れるようにする。母親は、「まだ咳があるようです。」と不満げな顔をする。女児は聴診器のヘッドを持つ医師の手を無言でじっと見つめている。
「では、背中の音を聞かせてい下さい。」
 宇似はできるだけ優しさを込めた声色で、子どもよりはむしろ母親を意識しながら、セクハラを疑われないようパジャマの上から背中に聴診器を当てる。
「宇似先生、余計なことは言わないで。余計な治療はしないで下さいね。シックハウスで業者と裁判中らしいから」
 上級医の言葉が彼の脳裏をかすめる。
「そうだぞ。裁判終わるまで退院しないつもりらしい。あの人一人で病棟の平均在院日数を伸ばしているからな。」
 隣にいた小児科部長の困った顔も同時に浮かぶ。
 彼の頭の中には裁判という文字と、布の擦れる音が交差する。その間隙を縫うように微かな呼吸音が紛れ込む。何度聞いても異常な音が聞こえたためしはない。彼は、女児が咳をするのも聞いたことがない。
 宇似は真剣な表情で数秒間、聴診器を当てたまま、何度も頷くパフォーマンスを、母親のために行った。
「今日は、調子が良いようですね。」
 宇似は、作った笑顔を母親に向け、今日は、の部分にさりげなく力を込める。しかし、母親は顔を曇らせたので、慌てて上級医が後ほど診察に来る旨を伝えると、丁重に頭を何度も下げてから、二人に決して背中を見せないようにして病室を出た。


 気づかぬうちに、何秒か息を止めていたらしく、病院の横開きのドアをしっかりと閉めると、胸に溜め込んだ二酸化炭素が彼に警鐘を鳴らしていたことにようやく気づいた。病室のベビーベッドから見下ろすなめくじのような視線の記憶を残したまま、気管支炎のドアを開ける。
 奥のベッドは空になっており、その傍には幼児になりかけた幼子を抱く老婆がパイプ椅子に座っていた。幼子は目を閉じて、彼女の胸を枕にして眠っている。朝の陽ざしが子どもの色素の薄い髪を黄金に輝かせている。
「失礼します。」
 宇似はベッドサイドにある名前ボードを見てから、老婆に囁くように声をかけた。
「起こしたら悪いので、背中の音だけ聞かせて下さい。抱っこしたままでいいので。」
 彼は、立ち上がりかけた彼女を手で制して、幼子の背中にやはり服の上から聴診器を当てる。子どもは、診察されているとは気づかず、天使の安眠を貪って小さな息を立てる。肺から漏れ聞こえる無垢で清浄な音に、宇似は満足の笑みを漏らす。
「肺の音、とても良いですよ。何もかも上手くいっています。」
 ゆったりとした調子で子どもの背中をさすり始めた彼女に、宇似はこれくらいの状態の時にいつも話しているお決まりの台詞を小声で口にする。だが、彼女は研修医の言葉を意に介することなく、子どもの閉じた瞼を見つめていた。
 宇似は失礼しますと頭を下げ、きびすを返して部屋を出ることにした。病室のドアのところで、若い女性とさっきの幼子より少し年長の男の子とすれ違った。研修医は「こんにちは。」と頭を下げて、通り過ぎようとした。その時、宇似の視界の端には、男の子が母親に促されて、老婆とベッドの間の狭い空間で体をよじりながら、宇似が今回診した筈のベッドの上にちょこんと上がっていく姿が映った。
 宇似はそちらに慌てて顔を向けると、ベッドを凝視しながら、半開きのままの口からかろうじて驚きの声が漏れるのを抑えた。
 数秒間落ちていた研修医のブレーカーが復旧すると、ようやく母親にわざとらしい朗らかさで声をかけた。
「お待ちしてたんですよ。今、回診しに来たらいらっしゃらなかったので。」
 宇似は敢えて大きな声で、気管支炎の子どもを気遣っていることを強調するように、現在の症状を母親に尋ねた。彼女の説明に大袈裟に頷くと、今ベッドに上がったばかりの子のパジャマを捲って聴診器を当てながら、ちらと老婆に抱かれている患児と顔がそっくりな幼子を横目で見た。彼は、自分を取りまく世界から離れて一人、眠ったままであった。


                               (了)
 

大丈夫かな、ルールに抵触していないかちょっと不安ですが、提出して見ます。読んで下さり、ありがとうございます。

9・5追記
 みょーさんのコンテストで「不思議な空気が魅力で賞」を頂きました。ありがとうございます。
少しわかりにくいという、ご意見を頂きましたので、解説代わりの記事を載せておきます。こちらを参照して頂けるとわかりやすいと思います。


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