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うにっき帳 vol.42|自分史編|伝説の伯父さん(1)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.42を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。自分史をエッセイのような形式でまとめています。
以前、掲載した「家族崩壊のその後」こちらです。
今回は、破天荒な伯父について語ります。今では、伯父の事が嫌いでも苦手でもありませんが(お金のトラブルには巻き込まれたくないので距離は起きたいですが)、昔は大嫌いでした。そうなる要因は、私の性質と、私の母親にあります。
この伯父の生き方を通じて、私が育ってきた家系における問題点が浮き彫りになると思います。
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
恐らく一九八二年 伝説の伯父さん(1)
恐らく、私が十歳の時だったと思う。というのは五歳上の姉が受験生だという記憶があるからである。
兵庫県の一の谷という古戦場で有名な所に住んでいた頃、伯父が家に遊びに来るという話になった。そこに住んでいたのは私が十歳から十五歳の間だから、八二年というのは最大五年間のずれはあるかもしれない。遊びに来るというのは母の兄で、私が認識している中では唯一の伯父だ。母は、私が二歳の時に離婚して、子どもを二人とも――姉と私――引き取って以来、連絡を全く取っていなかったので、父方の親戚については全くわからないし、母も、父親の悪口は散々聞かせていたが、そちらに伯父や叔父が存在したかどうかの話は全くしなかったので、今となっては知るのは難しい。
伯父はやはり来なかった。私と姉は、駅前まで何度も見に行ったが無駄足だった。姉の勉強時間を犠牲にしたと、母は怒っていた。やはりというのは、伯父は以前も来るという約束をすっぽかしたからだ。それに、裏付けとして母からは伯父のだらしなさ、いい加減さを普段から聞かされていた。その父親である祖父は手紙を書くのが大好きだったらしいが、息子に充てて「酒、女、借金で身を持ち崩すとは……」などと書き送っていたらしい。そんな人だから、約束を破っても、「ああ、やっぱり」という思いしかしなかった。それでも来ないと、心の準備をしただけ損をした気分にはなるのだが。
祖父の手紙はある面では要領を得ている。本当にどうしようもない人だと思っていたし、今でも欠点の多い人だったと思う。しかし、祖父も、伯父も、母も亡くなった今、私が聞かされたエピソードの断片、そして伯父と会った経験から彼らの人生を考察していくと、話はそう単純でもないいう事に気づく。
(つづく)
さいごに
今回は自分史で、伯父さんの話を始めました。はっきり言って破天荒です。ただ、その破天荒さは、祖母の育て方に起因すると思っています。そして、その育て方は、母が姉や私への育てるやり方として引き継がれています。その負の連鎖を断ち切らなければと思っています。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。