いま、10年の『10月16日』に。
2013年(平成25年)10月16日。
台風26号接近に伴う記録的な豪雨により、伊豆大島では、大規模な土砂災害が発生し、多くの尊い命が犠牲となる甚大な被害が生じました。36名の方が死亡し、3名の方が行方不明となっています。
伊豆大島土砂災害の発生から10年。
10年前のその災害は、、伊豆大島出身NHKの災害記者であるあの人にとって、一生忘れることのできない災害です。
…いえ。そんな簡単な言葉で表現したらいけない……大きな大きな。。。
昨年この伊豆大島土砂災害について書かれたこのnote。ぜひお読みください。どんな気持ちでおられたか…。
私はあの日あの災害をテレビで見ていました。あの人が伝えるテレビで。
“伊豆大島出身”
私はNHKが好きで、災害報道も長年見ていますが、こんなに『人』を感じた報道は、後にも先にもこのときだけだったと思います。
「会長の10月16日に」
昨年私も思うことを記しました。
『10月16日』から10年を迎えるにあたり、改めてことし思うことを、書いてみたいと思います。
その地を訪れて
私はことし初めて伊豆大島を訪れました。
自然の島
初めて訪れた伊豆大島は、本当に「自然!!!」をたくさんたくさん感じられる島でした!
本当にすごい…!!!
私が人生で経験してきた物差しでは推し量れないような…ものすごい…生きた自然がそこにはありました。
火山をはじめとした!自然が!生きている…!!ダイナミックで、本当にすばらしい島なのです。
祈りの場所で
大好きな人のふるさと、伊豆大島。
出会ってからずーっと行きたいと願い続けていた土地で。 ついに行くことができて。
そんな憧れの島に着いて、真っ先に訪れた場所。まずここに行こうと心に決めていた場所。
それがこの場所。大島町メモリアル公園。
ここが10年前土砂災害の被害にあった場所です。
いまはここに、公園が整備されました。
御霊に祈りを捧げ、また、災害を風化させないために。
とても広い公園に大きな慰霊碑。
そして、海。空。街に人々の営み。絶景。
静かに手を合わせました。
この地は本当に綺麗で。。
ここでそのようなことが…とはにわかには信じられないくらい…。しかし、振り向くと、三原山には幾筋もの……そのとき崩れた跡でしょうか。
その地に立ち、心にいろんなことを感じました。思いました。
いま、10年の「10月16日」に。
伊豆大島を訪れて
ことし伊豆大島を実際に訪れて。そして迎える10月16日。
昨年までとは違う気持ちで迎えています。
何が最も違うかというと、そこに人々の営みが、ごく普通の日常の暮らしがあったのだ…ということを実感としてまじまじと感じているということです。
あの場所、本当に街からすぐなんです。こんなところがと思ってしまうんです。たくさんの方が住まわれている場所。こんなに住宅地だったなんて、思ってもみなかった…。今は本当にきれいな公園になっているのだけど、そこに、すぐそばにも、こんなに暮らしがあった。一人ひとりの方がいた。
また、あんなにも大きい大きい自然。本当に本当にすばらしい自然なんです。人も本当にあたたかい。素敵なところなんです。島なんです。
でも同時に、自然とともに、まさに隣り合わせで生きているということ。この自然が時に牙をむいてしまうのかもしれない……
こんなにきれいなところが傷ついてしまったなんて、とてつもなく悲しい。
実際に訪れたことによって、被災当時の写真などを見たとき、“ああ、あの場所だ”と実感できるようになりました。
10年前テレビで見ていたとき、地図で島内の位置関係や特徴を説明していたと記憶していて、すごいな…さすがだな…って思っていたのですが、、いま思うと、、あれは 島のみなさまに向けて って気持ちが大きかったのかもしれない。。ああ…おそらくそうだ…
大好きな大島が。大好きな人たちが。
大島出身のあの人にとって、かけがえのない「同胞」。
そのつらさはいかばかりだったでしょうか。。
その悲しさつらさは、計り知れないもの。
NHK災害記者のあなたへ
近年の伊豆大島での災害。
1986年の三原山噴火全島避難。
この2013年の土砂災害。
1986年の噴火。島で生まれた小学生時代の災害。このときの苦しんだ経験が災害記者を志すきっかけに。あのときのこと、35年以上経った今でも……。
1986年の噴火。あの方の人生において、大きな大きな大きな大きな出来事。
2013年の土砂災害。
これはNHKで災害記者として働き出してから起きたこと。
私は、“会長”にとって
『「伊豆大島出身の」「NHK災害記者」』
として心に深く刻まれた悲しさ苦しさが、2013年の土砂災害だと思っています。
1986年と2013年で、違った形のつらさがあるんじゃないかな…。
災害記者としてもっと何かできたんじゃないかという大きく重い思いを含んだ…。。
そのときの悲しさは…苦しさは…たとえ何年経ったって消えるものではないのだと思います。ふるさとが……。あのとき何かできたはずじゃないのか……消せない重い思い。
でも…少しでもいいので…ご自分を責める気持ちが……その気持ちが……癒えるといいな……できるなら前を向く力になるといいな…と思っています。涙を流しながら強く願っています。
大島の方たちが、心からの、感謝の気持ちを、伝えてくれたから。大丈夫…
『「伊豆大島出身の」「NHK災害記者」』としての間伏の大ちゃん を誇りに思ってくれているから。大丈夫…
だから、できること。やるべきこと。をただコツコツと。これまでもこれからも力強く続けてほしいです。
私はこれからもそんなあの人のことを全力で応援していきたいと思います。
会長の「10月16日」がつらくさみしいだけの日にならないように。
悲しさつらさを胸に、グッと顔を上げて前を向けるように。
世の中に向けて、この日のことを、その教訓を届けていく日にできるように。
新たな、災害による被害を減らせるように。
そのような役割を果たしていけるよう、心から願っています。
大島で慰霊碑の前に立ったとき。御霊に捧げた祈りとともに願った思い。
「会長がもうこれ以上苦しみませんように」
「人々が災害で苦しむことの少ない世になりますように」
それぞれの持ち場でできることを…!
私たちも。あなたも。ここからぜひよろしくお願いします。
⛑️⛑️ ぜひお役立てくださいませ ⛑️⛑️
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