永遠にわかりあえない彼女
ひとは永遠にわかりあえない。
私という人間は、たいがいわからずやだったもので。社会に出るまで、世の中すべてのひとは「話せばわかる(by犬養毅)」と思い込んでいた。
世の中には話し合いでは解決しないこともあるし、互いの考えを理解できないこともある。だから戦争は起きるし、政党は対立する。そんな簡単なことにも気が付かず、長く説得を続ければ絶対にわかってくれるはずと思い込んでいたのだ。おめでたいものです。
そんなわからずやの私に、世の中にはわかりあえないひともいるのだということを教えてくれたのは、新卒で入社した会社の同期だった。同期入社はたったの4人。女性は彼女と私だけ。たったひとりの同性の同期が、私とは永遠にわかりあえない彼女だった。
あのときより少しだけおとなになった今はわかる。私はおそらく自分が正義のようにふるまっていた。自分の意見が正しいと思って話していた。何が正義で何が悪、そんな二元論は映画の中だけで、現実世界はもっと曖昧なのに。私にとっての正義は、彼女にとっては悪だったかもしれない。
おそらく彼女のほうでも、私という人間を理解に苦しむ存在と見つめていただろう。私たちは何度も歩み寄ろうとしては失敗し、部署が離れたあとは接触時間も減り、それぞれお互いの時間を生きていた。
先に転職したのは彼女だった。そののちに私もその会社を辞めて、彼女との接点はほぼなくなってしまった。
人生のなかで、そのあと何回もわかりあえないひとと出会った。そんなとき、彼女に出会ったときとは違い、適当に流す術もおぼえた。自分とは違う価値観のひとが存在すること。そしてその価値観やそのひと自体を尊重すること。それは多様性への理解の最初の一歩である。
もう会うこともないかもしれない彼女。わかりあえないことをわからせてくれたひと。彼女のおかげで私は少しだけ大人になれたのだ。
永遠にわかりあえない彼女。
今はどこで何をしているのかな。