津軽山唄、はじめました
先日師匠から言われた一言
「かやちゃん…名前負けしてるなぁ」
(°_°)(°_°)(°_°)
はっきり言ってもらえることが
ありがたいです。
特に音楽をやっているときの私は
男性性強めなので
どんなことも
裏で言われたりするよりも100倍マシです。
変な念送られるよりも1000倍マシです。
お岩木かやが生まれて1年半。
この名が、大好きです。
やっと本当の私に出会えたと思いました。
そして、岩木山も大好きになりました。
昨年は念願の岩木山に登りました。
山頂で笛を吹くという夢が叶いました。
岩木山は
『津軽富士・お岩木山・お岩木様・お山・奥日光』と、呼ばれており
元々、古くは『阿蘇辺森(あそべのもり)』と、呼ばれておりました。
”岩木”というのは
アイヌ語の『イワ ケ=岩 所』が訛ったという説、『カムイ イワキ=神の住む所』からきたという説があるようです。
『阿蘇辺森(あそべのもり)』とは
阿蘇辺族(阿蘇部族または阿曽部族)が暮らしていた地域です。
『阿蘇辺』という名前は『火を噴く』という意味からきているという説があるようです。
”阿蘇”とは縄文語では『聖なる火の山』という意味になるようです。
火の山・・・
最初に思い浮かんだのは”愛宕山”でした。
もともと、愛宕とは深いご縁があり
わたしが生まれた時から、祭りとして関わってきたのも
”愛宕神社”だったのです。
2拠点生活をしている京都も
市内から帰るときに愛宕山を抜けてきたことが何度もあって
(とっても遠回りになるのに・・・)
それが体調不良の時に、一気に抜けたことがあったのですよね。
【阿蘇辺族(阿蘇部族または阿曽部族)とは】
北東北最古の先住民です。縄文人らしい容姿、寒さに強く、狩りをして暮らしておりました。
和田家文書によりますと、阿蘇辺族は『粛慎(しゅくしん、みしはせ)族』とされておりましたが、阿蘇辺森に暮らしていたことから、阿蘇辺族という名前が付けられたそうです。
【津保化族について】
大陸から来た一軍です。船で漂着したそうです。先住していた阿蘇辺族を攻め、海辺に定住しました。繊維の衣を着て、弓矢を使い、土器を造り、船や家屋を造り、村をなして暮らしたそうです。この時に馬も連れてきたと思われます。
和田家文書によりますと、津保化族は『八系の民族を血に併せた民』で、時に『青眼白肌紅毛人』の血も混じっていたようです。
こちらのblogより、一部引用させていただきました。
ありがとうございました。
「神様の宿る山」とされている岩木山。
そんな岩木山から名前をつけて頂いた私。
師匠からの言葉に一瞬戸惑いながらも
これも愛の形のひとつです。
そして提案して頂いた「津軽山唄」
いつかやりたいと思っていた曲を提案していただき
とっても嬉しいです^^
7月末を目指して、完成させてゆけたらと思います♪
また、曲と向き合う様子を
インスタやblogに残せたらと思います。
インスタはこちら♪
https://instagram.com/oiwaki_kaya369?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
みなみなうれしうれしたのしたのし
かわるかわるありがたいありがたい
すばらしいみらいがあらわれてくる