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アメリカの映画学部生がいちばん最初に教わること

僕は、映画が好きだったので、アメリカに留学をしました。

父親が大の映画ファンであり、家のリビングには夥しい量のDVDが収納された棚の置かれた一隅があって、そこから一枚選んではDVDプレイヤーにセットする。TSUTAYAやゲオにも足繁く通う。金曜ロードショーは欠かさない。そういう少年時代を過ごしました。

『タワーリング・インフェルノ(1974)』を観れば、僕はポール・ニューマンがカッコいいといい、父はスティーブ・マックイーンだろと返す。そんな会話を交わした記憶があります。
引用元:映画.com

ただ同年代の友達に比べて映画を観ている数は多いという自覚はあったものの、18歳で映画を学ぶために留学した時でさえ、あくまで僕は映画を「純粋に楽しんでいた」に過ぎなかったと思います。

それが大学で一変します。
いわば「不純な楽しみ方」も知ったという感じかもしれません。

映画学部生としてアメリカの四年制大学に入学し、意気揚々としながら映画のクラスへ。しかしその授業でいちばん最初に教わった内容があまりにも衝撃的だったのです。

それが何だったかというと

「プラトン」です。

僕はなにそれ?と思いつつ教授はこう続けました。

引用元:Wikipedia

ある洞窟で、首や手足を縛られ動くことのできない人間が椅子に座ったまま壁のほうを向かされている。あかあかと燃える後ろの松明によって、動物や馬車を模した作り物が、影として彼らの目前の壁に反映されている。これが映画の起源である…と。

なお出口治明氏の『哲学と宗教全史』によれば、古代ギリシャのプラトンはイデア論を唱えた哲学者です。イデアとは「ものごとの真実の姿」のことでこの洞窟における作り物の馬や牛を指します。多くの人間はこの鎖に繋がれた人間たちと同じように「ものごとの真実の姿」ではなく影、つまり真実の模造品しか見れていない生き物だからイカン、とプラトンは言うらしいのです。

しかし映画学は、プラトンが呼んだところの影に、映画の起源である映像性を見出します。事実、映像は影像と言われた時代もあった。

僕は度肝を抜かれました。正直「映画はトム・クルーズだろプラトンって何だよ」という心境です。せっかく純粋に楽しんでいた映画を小難しい理論で台無しにされたような不快感さえあったと思います。他のアメリカ人の学生だってポカンとしていた。

だけど、です。

たしかに言われてみたら、映画館はこの洞窟の状況に似ている気がしなくもない。後ろにプロジェクターがあり、観客は座席で前のスクリーンをみていて、上映中は基本的に動けない。

そしてこんな授業を繰り返し受けていると、どういうわけか身体が馴染んでいくんです。個々の映画だけでなく映画一般を考えるようになる。純粋な楽しみ方とはちがう、ちょっとめんどくさいんだけど映画の不純な楽しみ方と呼べるようなノウハウを身につけていく。

このマガジンでは、そういったものをご紹介しようと思います。映画理論や映画史、さらにはアメリカで生活していたからこそ分かる映画の見方などにも触れます。

有益な情報をお伝えできれば幸いです。

よろしくお願いします!

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あらゆる角度から「映画」を楽しむ方法を紹介・模索しています。

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