外山滋比古『思考の整理学』
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今日は久しぶりに外山滋比古先生の名著『思考の整理学』を取り上げます。いくつか印象に残っている章がありますが、「寝させる」はその一つです。
前回の記事はこちら。
寝ている間や朝起きたときに、世紀の大発見をしたという逸話は、古来よりいくつも伝わっています。例えばガウスはある大発見をした記録の表紙に「1835年1月23日、朝7時、起床前に発見」と書き残しています。
外山先生によると、英語にはsleep overという表現があり、これは「一晩寝て考える」という意味だということですが、念のため調べてみたら今では「外泊する」というニュアンスで使われているようです。
初唐の詩人で、優れた書家としても有名な欧陽詢は、文章を作るときに優れた考えが浮かぶ場所として、「馬上、枕上、厠上」の3つを挙げました。「枕上」を床についてからの時間ではなく、朝目を覚まして起き上がるまでの時間と解釈するならば、起床時に大発見をしてきた偉人たちはまさしく「枕上の実践家」ということになります。
外山先生はこう続けます。
寝る前に面白い本を読むのも、夜遅くなってコーヒーや紅茶を飲むのも、頭に刺激を与えて寝付きを悪くするので、よくありません。
とはいうものの、普段からぼんやりしていては、何も生まれません。考え事があるからこそ、着想が生まれるのです。
外山先生は、一晩寝たらいい考えが浮かぶのではなく、問題から答えが出てくるまでには時間がかかるというのが実態ではないかと指摘しています。
外国に「見つめる鍋は煮えない」ということわざがあります。調べてみたら、"A watched pot never boils."という英語のことわざを指しているようです。
ことと次第によっては、一晩では足りないこともあるでしょう。問題が大きくなるほど、長い間心の中であたためておかないと、形をなしません。他の問題関心を経由しながら、時間をかけて少しずつ思いを形に捏ね上げていく作業が求められます。
ひとつの小さな特殊問題を専心研究するという篤学の人が意外と大成しにくいのは、「ナベを見つめすぎるから」。このあたりは丸山眞男の「ササラ文化とタコツボ文化」の考察を彷彿とさせますね。
大きな問題ほど答えを見いだすまでに時間がかかるならば、幼少期にどれだけすぐれた素材に出会っているかが重要になってきます。長い間、心の中で寝かせていた「ぼんやりとした光景や経験」が、ある日突然、稲妻がほとばしるように「意味をなす」ことがあります。
どんなに努力をしても、どうしても成就できないことがあります。それには時間を味方につけるしかありません。
このような考え方は、若い頃にはどうしても理解できない部分があるでしょう。なぜなら中学受験、高校受験、大学受験や学校の定期考査など、ありとあらゆる試験の成績は、本人の重ねた努力に比例するという根強い信仰・信念が教育現場で機能しているからです。
大抵の試験には制限時間が設けられています。特に入学試験など、受験生に順位をつけて選抜する試験の場合は、いかに短い時間で正しい答えに辿り着くかの能力が問われます。つまり「ナベをどれだけ熱心に見つめ続けてきたか」がモノをいうわけです。
しかし、世の中は努力だけではどうしようもならないことの方が多いという残酷な事実を、多くの人は大人になって何度も思い知らされることになります。そんなときは、「見つめる鍋は煮えない」を思い出すべきです。
私も『思考の整理学』のこの章を読んでから、目の前の努力ではどうしようもならない問題にぶち当たったときは、夜通し悩み続けるのはやめて、とにかく一回寝て頭を冷やすようにしました。
朝になると、うまい解決策がひらめいたりして、案外なんとかなっているものです。
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