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12/19マーケット特別ゲスト     畑とつながるシェフ         バールポンテ 五十嵐諭シェフ

イタリアで知りたかったのはイタリア人がある食材をどのように料理するのか、その感覚です。どうしてそのようなものを作るようになったのか。
それがどこから来るものなのか、とまではわからなかったけど3年目のレストランでなんとなく理解できた気がします。


日本人が日本で、日本の食材でつくるイタリアンの料理。
「イタリア人ならどういうふうに料理するか」
その感覚がなければ、多分ナポリタンのような日本料理になる、というのは想像に難くありません。
「あと調味料も日本産のオリーブオイルでもいいけどイタリアで基本的に使うものというのは大事かと。醤油とかを使うのはちょっと違うような気がします。」

「大分に暮らしていれば大分で出来たものを食べるのが一番美味しく感じると思います。もし、イタリア人が大分に来たらこの野菜、魚、肉をどういう考え方でどう調理するか。いつも考えています。」
五十嵐さんはレシピを学びに行ったのではなくて、イタリアの風土から生まれた、人間の考え方や哲学や人間性にあたる芯の部分に触れに行ったのか。私なら沢山の料理をただ覚えるだけになったかも。
思いもしなかった答えでした。

五十嵐さんが料理人になったのは26歳の時。大学を出てテレビ番組の制作会社でADをしていました。あまりの激務に一生は続けられない。同じように大変なら料理人にでもなろうかな、と転職。
奥さんの行きつけのパスタがメインのレストランで働き始めたそうです。
「とにかく、スーツを着たくなかった。」

これまで全く料理と接点がなかったわけではなく、お父様が食べ歩きが好きでいろんなところに連れて行ってくれたり、小学校の時は普段はスポーツ少年でも日曜日だけなぜか一人で料理してみたり。

最初のお店を任されるようになったのですが、2年間働いたお金でイタリアに3年、28歳で修行に行きました。

修行先はイタリアの本の出版社の留学事業部の仕組みで学生ビザを取得して1軒目を紹介してもらいました。
3件目に行った地方の家族経営のレストランに住み込みで働いて、    そこが一番楽しく、学びも大きかったそうです。

その家族の祖父母が始めたレストランで、その娘のお母さんがシェフ、お兄さんがサービス担当のソムリエで経営者。子どもも手伝っていて、トスカーナ地方の郷土料理はおばあちゃんが担当。郷土料理をベースに洗練されたかたちで創作料理をするのがその娘さん。あのミシュランガイドでも星こそついていなかったけどいい評価をもらっているレストランだったそうです。
「とてもアットホームで自分も家族の輪の中に入れてもらえてその温かさに触れられたし、経営のことも学べた。いろいろなことを吸収できたと思います。」
でも最初の1か月くらいはよくけんかしたそうです。
とにかく段取りが悪くて無茶苦茶。なんとなく最終的に料理が出来る。料理をガチガチのレシピで作る日本人とペースが違う。           開店30分前なのに洗濯物を干しているとかで準備出来ていないとかありえない・・・なんてことが日常茶飯事。
「日本人は本当にきっちりしています。だから日本でやっていること、やり方がすごくいいことだからイタリアで学ぶことはない、と帰国する料理人もいます。でも僕は一緒に生活して学びたい、どのような考えや感覚で料理するか知りたかった。
イタリアに来る前もなんとなく地産地消が大事、と思っていたけどイタリアではなぜ大事なのか肌でわかった。                  修行したレストランでも家の周りに庭があって雑草と見分けがつかないくらいハーブが植えられていて、必ず料理に使います。イタリア料理はとにかく香りが大事だということも分かった。ハーブがそれられているだけで全く違う。欠かせないものです。」

レストランの周りで採ったミントと100km離れたところから来たミントではその土地の素材と組み合わせた時にすごく違う。地産地消の意味も実感したそうです。
「でもだからと言って、この味が一番いい、とかいう傲慢さを持たずに
『今ここでしか味わえない、最大値の料理はこれです。』と差し出すのがいいのかな、と。それぞれの地域や国でそれを表現出来たらいいだけだと思います。」

私は全然知らなかったのですが、イタリアでは魚料理、肉料理それぞれ専門店が分かれているのが一般的で、ましてや一つの皿に魚と肉が一緒に入ることはないそうです。日本でいう寄せ鍋的なものは一切なし。シェフも専門が分かれています。

そういう習慣や素材の扱い方、暮らしかた。
体験して尚且つ知ろうとしないと見えないものは沢山あると思いました。

五十嵐さんはもともと都会にいて様々な地方の食材を組み合わせるのではなく、その土地のものだけを組み合わせて料理を作れるなら地方に住んでレストランをするのがいいな、と漠然と思っていたそうです。
40歳くらいになったら、と思っていましたが五十嵐さんの奥さんが国東出身だったので30歳過ぎにイタリアから帰国してそのまま大分に来ることになりました。

由布院の無量塔で働くようになって梯さんと出会いましたが
奥さんが出産したばかりだったのでもう少し余裕のある労働環境を選んで転職。何度か梯さんから誘いを受けていましたがとうとうタイミングがあって2018年からバールポンテで働くことに。
ワインにはまっていたので、玉井さんが料理、五十嵐さんがワインとサービス担当という時期があったそうです。
玉井さんがクインディッチを担当するようになってからは五十嵐さんがポンテを任されています。

「ポンテというのは運営する側としては結構、難しい部分もあります。
というのは日常と非日常の間にあると思うので。いつも通ってくれる人にとっては日常。でもたまに来てくれる人や初めて来てくれる人にとっては非日常。どちらの人にとっても楽しめるようにしたい。」

イタリアの日常、肉じゃがみたいな日常も少し別なベクトルで紹介出来たら、と願っています。

最近は五十嵐さんにメニューのイラストを任されています。
「絵心なんて全然ないですよ・・・でもメニューを写真で乗せるのは梯が好きでない。写真だとその通りのものが出てこないといけなくなるし、
多分、メニューを情報ツールじゃなくてコミュニケーションツールにしたい。と梯は思ってるんじゃないかな。
そのメニューリストもレストランの雰囲気を伝えるものや会話のきっかけになれば。そう思ってなんとかやってます。」

コロナウィルスの流行を経て
「お客様が来てくれることが当たり前ではないこと。来て頂くことがありがたい、改めてと思うようになりました。」

五十嵐さんの今後の目標をお聞きしていたら意外な答えが。
「オーナーシェフになりたいとか、全然ないです。ただワインのことをもっとやりたい。ワインの輸入とか。」
お兄さんがソムリエを務めていたイタリアの修行先のレストランでも、いろいろ教えてもらってワインリストを作ることもしていてとても楽しかったそうです。

前のめりでがむしゃらに、というタイプではなく、一歩引いて冷静に俯瞰の目線で見ている五十嵐さん。でも向けるまなざしは温かい。

梯さんは由布院の無量塔にいた時は夕方に若手を連れて生産者の畑に行って夜中に帰ってくるというようなこともしていたそうです。
「もちろん、生産者のところを回っていいものを自分の目で見て、土を触って、現場をみたい、という梯本人の希望もある。そしてもう一つは自分から出向くという姿勢の付き合いを大事にしたいのだと思います。」

東京の資本力のある、ちゃんと顧客がついているレストランは仕入れ担当者がいます。その担当者が生産者の状況に合わせて注文して食材を揃える。細かい点でいえば、FAXなのか、電話なのか、配達なのか。
またそれぞれの生産者の事情を熟知して。
大分では生産者とレストラン、両方に負担のないような大分独自の仕組みが出来ないだろうか。
梯さんのように突出したマンパワーがなくても出来る仕組み作り。それも相談してみました。

「実際、今僕の状況は生産者のところに行ったりは時間的にも出来ません。目の前に届くものでしか付き合えていない。でも例えば事前に注文しておいてマーケットに受け取りに行くとかよい仕組みつくりがいると思います。」

マーケットや食材、特に野菜についても意見も頂きました。
「いろんな生産者の方がどんどんいろんな新しい野菜、珍しい野菜を作るのもいいと思います。おそらく、商業べ―スにも乗りやすいだろうし。
ですが僕は人参、玉ねぎ、ジャガイモというような基本的な野菜をしっかりしたものを作ってもらえたらと思います。野菜の味がしっかりしたもの。例えばボロネーゼは玉ねぎと人参の味がしっかりしていると、それだけでとんでもなく美味しいものが出来ます。」

五十嵐さんは笑顔を見せてくれますが、淡々と動じない雰囲気でお店にも立たれています。
どんなに素早く動いていてもご本人の落ち着きのせいか静か。
私が貧血気味で、とつぶやくとペンネの一皿に前の日にマーケットで仕入れてくれた青井農園さんのほうれん草をいれましょうか?と聞いて足してくれたりします。誰にとっても心地の良い空間になるように。
見ていないようで見ている。聞いていないようで聞いている。そんなさりげない配慮が行き届いています。

梯さんのことも尊敬し、すごい想像力と洞察力で意図を組んで淡々と責任を果たす。一緒に働いていて上に立つ人にとってはとても心強い味方だと思います。すごく面白い魅力のある人だなあ、と改めて思いました。

外国の料理を学ぶのはレシピだと思っていたし、
レストランの野菜は珍しくカラフルなものが大事だと思っていたし、
ほとんどのシェフは独立開業を目指したいのかと思っていたし、
地産地消のレストランのスタンスも改めて見直すことが出来ました。

五十嵐さんはマーケットを続ける上でもシェフが利用できるマーケットを作るうえでも重要なヒントを惜しみなく伝えてくれました。
実際にそんな場所になれるように頑張りたい。

生産者と料理人がお互いプロとして話す機会があるだけでもっといろいろなことが変わります。
おおいた暮らし、もっともっと楽しくなりそうです。


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