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はじめまして さとしです
はじめまして、さとしです。
公共団体の職員として働くかたわら
会社に依存しないで生きるための挑戦を続けています。
遅ればせながら、note始めました。
初めてですから、何を書いて良いものやら。
とりあえず、簡単に自己紹介をします。
私は、誰もが知っている某公共団体で職員をしています。
安定しています。やりがいのある理念の職です。
しかし、良い面ばかりではありません。
私の所属する団体は、創設から100年以上経過しており、古い伝統が受け継がれています。しかし、近年の時代変化は著しく、新しいことを取り入れなければ、時代に合った価値を提供できません。
ですが、職場の権力者は過去を一生懸命に積み上げてきた方々です。
古い伝統は変化を嫌います。
私は共感した企業理念を、胸を張って遂行していると言えるだろうか?
こんなことを、日々疑問に感じています。
日々新しいことに挑戦したくてたまらないのです。
また、団体職員並びに公務員は、基本的に専門性を持ちません。
これは民間企業も同様かと思いますが、一般に3年程度のスパンで人事異動により、全く異なる仕事を1から学び直します。
様々な経験を積むことは、知見を広げることができますから、一見良いことと考えられますが、その知見はあくまでも「団体内」におけるものです。
もし団体から外に出たら、培ってきた知見のほとんどは無意味となるでしょう。
つまり、その団体に。さらに言えば、人事評価をする上司にとって有益な人材にならなければ、社会で生きることができないのです。
大切な大切な自分の意思を、完全に殺さなければ、生き残れなかったことが何度もありました。
嫌なことを我慢しなければ、生き残れなかったことが何度もありました。
仲間の意思が死んでいくところも、何度も見ました。
控えめに言って、「非人道的」な日々を乗り越えてきました。
このようなことは、珍しいことではないでしょう。
そう思い、戦い、勝ち続け、必要があれば他者を叩き、ときには権力にすら牙を向き、今も働いています。
そうしなければ、自分が死んでしまうからです。
しかし、この感覚こそが諸悪の根源ではないか。
いずれ「自分の意思が死ぬことなど当たり前」だと、私も他人に強要するようになるのではないか。
こんなの、絶対におかしい。
企業理念の体現にしても、自分の意思だったはずです。
いつも誰もが自分の意思を体現するために生きる権利があるはずです。
その挑戦として始めたnote。
初めてですから、後から見たら恥ずかしい文章でしょうね。
しかし、実際にやることが非常に大切だと思いますから、まず投稿しました。
不言実行。
自分を生きるため、日々積み上げていきます。
おわり