魚の視点で川を考えよう〜東京・森と市庭 取締役 菅原和利さんに話を聞いて〜(後編)
東京・森と市庭 取締役 / 小河内漁協 監事 / アングラーズマイスター初代MVP 菅原和利さんのインタビュー記事の後編です。前編はこちら。
全6回のイベント「おいしい流域」の企画を進めていく中でたくさんの問いに出会いました。その問いを深めるべく、”山、川、海のつながり”について様々な方にインタビューをしております。
※本プログラムは、日本財団 海と日本PROJECTの一環として開催されました。
川を釣り堀にしない
多摩川や秋川ではヤマメやマスやアユを放流して、釣りの解禁日にワッと一斉に釣り人が集まって、魚を撮り尽くすと人がいなくなる、釣り堀と変わらないような状況があります。サクラマスプロジェクトの活動を通じて、実態がだんだん分かってきたのですが、ヤマメやイワナの稚魚を個人で買って放流することは法律で禁じられていて、基本的に漁協じゃないと稚魚を東京都の養魚場から買って放流する活動ができないんです。この辺りの川を管轄しているのは小河内漁協という漁協なので、その内部に入らないとできないことがある。
魚を持ち帰らずにリリースしなければならないエリアを決めて、キャッチ&リリース区間を設定してゾーニングすることで解決できないか、漁協の中で提案しているところです。他にも、釣りに使用する針は1本で3つ返しが付いていて魚に負荷がかかるようなものは使わないでねとか、餌釣りはキャッチ&リリースエリアは禁止だよとか、新しいルール設定を小河内漁協管轄の河川で提案しました。もしそのアイデアが通れば、解禁日に一部の区画には釣り人が今まで通り集中するけれども、それ以外の区画では自然本来の姿のままで、元々そこに自生していた魚たちが自然に循環していく風景がまた見られるようになるかもしれません。
僕自身も釣り人なのでよくわかるのですが、釣り人は釣りに関しては盲目的で、自分が魚を釣りたいがためにそれ以外のことが見えなくなる習性があって。僕もアングラーズマイスターになったことで全国に釣り仲間ができたんですが、良くも悪くもみんな釣りが大好きで、でも大好きだからこそもっと根源的な部分で冷静になって、僕たちが楽しんでいる釣りという営みは魚がいる前提だよねと、魚がいなかったらこの楽しみは享受できないよねと。だったら、もっと魚を増やすために釣り人ができることを考えて、釣り人が増えれば魚も増えるみたいな、そういう釣り人のあり方を投げかけたいなと思って、いろんな活動をしています。
いま海の方では魚の資源管理が進められていますが、川の方でももっと必要だと思います。ニジマスは本来日本にいない魚で、釣り人のために養殖して放流して、しかも養殖が簡単にできて増やしやすいので、いま国としてもニジマスの放流を進めているというだけなんですが、ニジマスがいる川というのは日本本来の姿ではないんですよ。ニジマスはアメリカから来た魚なので。だから、ヤマメやイワナ、サクラマスやサツキマスみたいな日本の魚を保護しながら、本来あった川の姿に戻せないか。川の姿を元に戻すことが、今生きている釣り人や魚好きな人たちの責任なのかなと思っています。
本来の多摩川の姿を想像してみよう
マス族と比較して多摩川にアユが少ないのは、アユが産卵する場所まで戻れていないということと、釣り人の数が多いことが理由だと思います。いま多摩川や支流の秋川で釣られているアユはほぼ放流された個体ですが、放流されてからその川の苔を食べて地のアユに変身できるわけですね。だから原生的な状態で代々ずっと同じ河川で循環してDNAが保たれているアユは東京都内にはほぼ残っていないと思います。ヤマメやイワナでは、人為的に発眼卵(卵の中に目が見える受精卵)を一番上流域に放流して、卵の状態で孵化させて絶対数を保つという活動を、東京都の水産課の指導の下、奥多摩や秋川でもやっていますが、もともと川に棲んでいたルーツの魚がどんどんいなくなっていることに寂しさを感じます。
今は人間の力がなければ川から魚がいなくなってしまう状況ですが、逆の視点で見るとなぜ魚を残し続けなければならないのか? その理由の一つは、釣り人のためという大義名分があれば、魚を放流してもいいという方針があるからです。国の方針では、その河川の漁業を維持するという大きな方針があるので、漁協も釣り人のためだったら、本来その川にいるはずのないニジマスのような魚を放流することも良しとされています。義務放流といって、年間何t放流してくださいという量が河川毎に細かく割り振られていて、釣り人からお金をもらって魚を釣らせる遊漁券販売という事業行為を漁協に対して許可する代わりに、バーターとして義務放流をしてくださいねということが決まっているんですね。そのような関係性の中で釣り人が川に集まるから、釣具メーカーも漁協に対して、道具を一緒に開発したり、大会を開いたりといった様々な支援をしているわけです。
川や魚という存在自体が、そもそも人間の手によって大きく変えられてきた歴史があり、時代によって自然環境と人との付き合い方はあらゆる面で変わってきています。人と自然のちょうどいい距離感というものを、時代に合わせて常に模索し続ける必要があるのかなと思います。川というものを考えるときに、人間を軸にすると釣り人、自然を軸にすると魚が主語になるわけですが、今まではずっと釣り人が主語だったんですね。漁業や釣りという文化、その周りにある産業を、国が漁協という組織と連携しながら保護してきたわけです。いま環境保護やSDGs、ネイチャーポジティブといった考え方が社会に広がっている中で、人だけを主語にして川を語るのではなく、魚を主語にして語る時代にシフトしていく過渡期にあるのかもしれません。
多摩川はもともとどんな姿だったのか、一度立ち止まって考え直す機会が必要だなと思って、釣り人や多摩川流域に関心を持っている人たちを集めた多摩川流域フォーラムというシンポジウムを去年開きました。50人ぐらい集まってくれて、どういう多摩川が理想なのかを考えるワークショップなどをやったのですが、そういう機会が今までほとんどなかったんですね。当たり前の話ですが、川は釣り人のためだけにあるわけじゃありません。でも釣り人からすると、今までそういう見方しかできていなかったんです。だから、魚を主語にしたらどういう川がいいんだっけ? みたいなことを、釣る側の人間が考えることは面白いし、釣りが好きな人たちだからこそ、魚の視点で川の環境を守るほうが長期的に見ると幸せなはずだと思うんです。
全6回のイベント「おいしい流域」の企画を進めていく中でたくさんの問いに出会いました。その問いを深めるべく、”山、川、海のつながり”について様々な方にインタビューをしております。
※本プログラムは、日本財団 海と日本PROJECTの一環として開催されました。