かぶと釜蒸留器について
ここでは、大石酒造の五代目・啓元(ひろもと)が復元した木樽の蒸留器「かぶと釜」について書いていきます。
古式かぶと釜蒸留器の歴史
古式かぶと(兜)釜蒸留(こしきかぶとがまじょうりゅう)とは、室町時代頃日本伝わったと言われており、主に江戸時代に活躍、明治時代頃まで用いられていた蒸留方法です。
日本だけでなくアジア全域で見られ、南アジアでは今でもこの蒸留器がまだまだ現役の地域も多くあります。
かぶと釜蒸留の仕組み
木製の桶を中心とし、下部に米麹と芋(または米、麦、など焼酎の原料となるもの)で発酵させた醪(もろみ)を入れ、上部には円錐形の金属の皿(兜と呼ばれている)を頂点が下になるよう逆さまに乗せます。
この円錐のくぼみの中に冷却水を入れて下からもろみを加熱すると、釜の内部で蒸気となったアルコールが上部に集まり、冷たい兜に触れて液体に戻るので、それを回収することで蒸留が進みます。
この部分が上下逆さまの鎧兜に似ていたので、かぶと釜と呼ばれるようになったと言われています。
古文書におけるかぶと釜
焼酎について書かれた古い本の中にもかぶと釜が登場します。
世界での蒸留酒の起源ははっきりと明らかにはなっていないものの、大陸では紀元前より蒸留の技術が発展していきました。日本に蒸留の技術が伝わったのはまず沖縄で、1400年代後半と言われています。その後1500年頃九州に伝わったと言われています。(中国由来説もあります)
1700年代に書かれた文書にある絵を見ると、当時は直火で焚いていたことが分かります。
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