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想いを紡いで縁を繋ぐ
茶道を続けていてよかったと思えること。
それは、人が大切にしている「想い」に触れることができるということだと思っている。
忙しさに立ち止まり、人をもてなしもてなされる普段のお稽古の中で
相手を思いやるという「想い」に触れるというのはもちろんのこと。
文化に対してであったり、ものづくりに対してであったり、
何か一つの物事に真摯に向き合って、
次に繋げようという想いを持っている方とご縁ができることが、
茶道を続けていて良かったと思えることの一つだと思っている。
2024年秋のこと。
縁あって、陶芸家の利茶土ミルグリムさんに作陶窯を見せていただく機会をいただいた。
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▪️利茶土ミルグリム(リチャードミルグリム)
1955年米国ニューヨーク州ホワイトプレインズに生まれる。1977年初来日。
1979年ボストンで茶道の勉強を始め、ニューヨーク市ジャパンハウスギャラリー「茶の湯」展に携わり、裏千家15代家元 千宗室氏と出会う。
裏千家「みどり会」に入学と同時に京都の陶芸作家 岩渕重哉氏に師事。
1985年京都府日吉町に築窯、鵬雲斎御家元より「利茶土窯」と命名される。
「どの作品も、一番に使われる方のことを考えて作っているんです。」
唯一無二の造形でありながら繊細さを併せ持った作品の数々。
触れると手に馴染む温かさや、お茶の緑が入ることでより輝きが増すお茶碗。
使う場面によって使い分けできるように、表と裏で異なる表情を見せる水指・・・。
そのどれもが、作品として唯一無二の存在を放ちながら、
使う人に、そして使う場面に、そっと馴染んでいる。
良い作品は、むだなものが濾され、純度の高い結晶のように、
作り手の想いがきらきらとした輝きとなって作品に宿っている、と思っている。
利茶土さんの作品は、まるで繊細さが結晶になったような、そんな作品だった。
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ギャラリーでは、様々な作品を手に取り、見せていただけた。
ハット型(!!)の水指が目を引く。
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星型茶器など、一見奇抜そうに思える形でも、茶室によく馴染んでいる。
手に取ると、その追求された薄さや、計算し尽くされた佇まいに、
繊細さと静謐さを見ることができる。
ちなみに、星型は桔梗の形でもあって、
使うシーンによって意味合いを変えることができるという心遣いの表れ。
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力強さを感じるお茶碗も多い。
志野や織部、瀬戸黒、黄瀬戸など日本の伝統的な茶陶を踏まえながら、
アメリカの土を使ったり、新しいスタイルを追求されている。
繰り返し繰り返し、鵬雲斎とのご縁について語る利茶土さん。
その想いを伺いながら、
文化って、ご縁を大切にする想いが繋がって形作られていくものなのかも・・・
と、ふと考えた。
大事に抱えてきた先人たちの「想い」に触れ、
その想いを、零れていかないように、縁を切らさないように、
大切に大切に次に繋げていく。
茶道をしていると、どんな些細なものにも想いが宿っていることに気づく。
一つ一つの所作にも、使うお道具にも。
そして、その想いの意味に気づく度に、わたしはいちいち感動してしまう。
ぼんやりと見過ごしてしまわないように、
「想い」に敏感になること。
ちゃんと想いを掬い取って、次に紡いでいける人になれますように。
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些細なものにも想いは宿る。
これは、何も茶道に限ったことじゃない。
普段の暮らしの中にもあるもの。
職場での日常の中にも、友達とのふとした瞬間の中にも。
どんな人だって想いを抱えながら生きているから、
ふと話す内容に、仕草に、その人の想いは宿っている。
この意識を持っていたら、
どんな人の想いに対しても、それにちゃんと気づいて、
敬意を払って向き合えそうな気がする。
私が茶道を通して得たいのは、
相手が抱える想いを大切にするという意識なのかもしれない。