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ひきこもりだった頃の話

私は15歳から20歳までの5年間をほぼ家の中で過ごしました。


当時の私は一歩も外へ出ない完全なひきこもりという訳ではなく、週に何回かは犬の散歩で外に出ていた。
ただ、人に会うのを極力避けたかったアンド万が一人に会ったとしても顔が見えにくいんじゃなかろうかって理由で散歩に出る時間は決まって夜だった。

ずっと家にいて何もしないのも居心地が悪いので、家の掃除を毎日していた。
隅々まで掃除できるようにマツイ棒(懐かしいですね)を見よう見まねで自作していた。
リビングを掃除して掃除機をかけて次はキッチン、洗面所、最後に自分の部屋っていうお決まりのコース。
この世における自分の存在価値は掃除しかないと思っていたので、掃除は毎日欠かさずにやっていた。

掃除が終わったらやることが何もなくなるので、リビングの窓辺で外を見ていた。
学校も行っていない、働いてもいない、何もない無価値な私は必要ない。
だからみんな、私の存在を忘れてくれたらいい。
この世界から消えることができたらいい。
急に消えたら家族もびっくりするからひっそりと、誰にも気づかれないように消えることができたらなと心の中で強く願っていたのだけど、そんな都合よく1人の人間がこの世から居なくなる訳もなく、毎日毎日ご飯を食べて、掃除をして、ゲームをして、寝て、を繰り返していた。


真夜中になると、家族が寝静まってしまう。
テレビも終わってしまうと無音になってしまう。無音になると、世界に私が一人だけ取り残されているように感じてとても怖かった。
怖いから家族が起きている時間に寝ようとするけど、焦って寝ようとすればするほど眠れなかった。

誰かに必要とされたい。
自分は無価値ではないのだと言って欲しい。
私を見つけて欲しい。
昼間はあれだけ消えたいと願っていたのに何を言ってるんだと思うけど、矛盾しているけど、そんなことを願っていた。
そうこうしてると朝が来て、家族が起きてくる音がしてくる。その音を聞くとようやく安心して寝ることができた。


ある日、無音が怖いと話す私を見かねた母がこれならいいんじゃないのとラジオを勧めてくれた。

昼夜問わず(深夜だと放送が終わってしまう時もあるけど)誰かしらの声が聞こえてくるラジオを私はすぐに気に入って毎日聞いていた。そんな時に、あるラジオパーソナリティの方と出会った。

ある日の夜、ラジオから女の人の声が聞こえてきた。
鼻声で少しだるそうに喋る。関西弁。
話す内容も面白い。
面白いんだけど所々自虐的、自棄気味。
よくよく聞いてみるとその人は歌手をしているそう。でも全く売れていないのだそう。
自分の曲を流し、「これなー、コーラスいらんと思うねんけど入れた方がいいっていうから自棄になって歌ってんねん、ほらめっちゃ自棄になってる感あるやろー」と笑いながら自分の曲について話していたのを覚えている。
次の日の朝起きてすぐ、昨日の分の新聞を引っ張り出してきて番組名を確認した。

以降、私はそのラジオパーソナリティの番組を毎週心待ちにしていた。
番組は火曜の深夜1時から2時まで。
途中から放送時間が変わって12時から1時になった。
録音されたものを流していたみたいで放送は1週間の時間差があった。
彼女は、1週間の出来事の中で感じたことを面白おかしく話していた。時には、生活の中で感じた不安や怒りや疑問について話すこともあった。
ラジオパーソナリティの方は毎回このラジオを聞いてる人がいるのかと心配していた。
聞いてる人、ここにもおるねんけどなぁと思いながらもお便りを出す勇気はなく毎回ただ放送を聞くだけで終わっていた。


ラジオを聞き始めてから一年くらい経ったある日、私は意を決してお便りを出した。

自分が今何もしていないこと。
消えてしまいたいと思っていること。
そんな私はあなたのラジオを本当に心待ちにしていること。
今まで誰にも言えていなかった自分の思いを全部書いた。
公共の電波にのせてはいけないような暗すぎる内容だったけど、ラジオパーソナリティの方は番組の中で全文読んでくれた。

あの時私はなぜラジオパーソナリティの方に自分の気持ちを伝えられたんだろう。

きっと、番組をずっと聞いていく中で彼女ならこんな自分でも受け入れてくれるという確信みたいなものがあったのかもしれないし、もしかしたら「誰かラジオを聴いてくれている人はいるのか」と不安に思う彼女と真夜中に「誰かに見つけて欲しい」と願う自分に、何か重なる部分を感じたからなのかもしれない。


一度、そんなラジオパーソナリティの方に会いたくて新アルバムの発売インストアライブを観に心斎橋のHMVに出かけたことがある。

心斎橋に行かれたことがある方ならお分かりになられると思うんですけど、心斎橋っていわゆるTHE都会じゃないですか。
心斎橋に対しては今も「こんな田舎者がすみません」っていう違った意味の気の重さは感じるけど、当時、ろくに外に出ていないひきこもりの私が出かけるにはハードルの高すぎる場所だったように思う。

あの日はインストアライブに母と一緒に行くことになっていた。
で、母が心斎橋に着ていく服がないからって昼過ぎぐらいに近所のアルプラザにバイクでブイーンと服を買いに行ったんだけどそこから全然帰ってこない。
なんやねんなんやねん全然間に合わんって終わってまうってやばいってと一人で焦ってたらやっとこさ母が帰ってきた。
聞くと、アルプラザの近くで事故ってこけて服が買えんかったって話やったんやけどとりあえず早よ、なんか事故ったって不吉なワードが聞こえたような気もするけど気にしない早よ行かないと終わるから早よってそのままバタバタと出かけた。

前日までは人が怖いし電車も怖いからどうしようかと気が気じゃなかったけど、間に合うか間に合わへんか(時間的には着いたら終わってるんやろうなという時間)で焦りまくってたから前日の不安なんかはもう全部吹っ飛んで、OPAまでの地図を握りしめながらラジオパーソナリティの方に一目会いたいって気持ちで心斎橋の駅からOPAまで走っていった。
OPAなんて生まれて初めて来たから何があるとか全く知らなかったけど入ってみたら服屋さんがいっぱいで「いらっしゃいませ」ってお姉さんに声をかけられたけどごめんなさい急いでますんでって道中の勢いもそのままにエスカレーターを駆け上がった。
エスカレーターを駆け上がっている途中、歌声が聞こえてきて涙で視界がぼやけたその先に、ずっと会いたいと願っていた人がいた。


ステージの上でマイクを持って立っているラジオパーソナリティの方が目に入った瞬間、涙がボロボロ出てきた。
横を見たら母も泣いていた。
HMVに入った瞬間に涙を流す母娘。曲は終わりかけで歌ってもいない、傍から見たら怪しすぎるけど、着いて安心したのと会えて嬉しいのとこれまでのあれこれが全部入り混じって涙が止まらなかった。
途中から来たせいで状況が掴めなかったけど、機械トラブルでライブの開始時間が遅れたとのこと。
関係者の方たちはトラブルで気が気じゃなかったかもしれないけど、そんなトラブルに心から感謝している情緒不安定な母娘がここにいるよ。
ありがとう、ありがとうと思いながらまた泣いた。

最後です、と流れてきた曲は私の一番好きな曲。

あの時初めて歌手の方の歌というものを聴いたのだけどすごかった。
私がファンだから贔屓目に聴こえたのかもしれないけれど、でも本当にすごいと感じた。
ラジオの番組の中で「周りにな、歌詞はよう分からんって言われるねんけど声はいいよねって言われるねん」って自虐的に喋っていたなと思い出す。歌詞もいいし声もいいよと思いながらもまた泣いた。
歌っている途中、ラジオパーソナリティの方と目が合った気がした。
気づけば彼女も泣きながら歌っていた。

ライブが終わった後、一人になるタイミングを見計らってラジオパーソナリティの方に声をかけに行った。
何を喋ったのか覚えていないけれど、いつものラジオネームを名乗ると嬉しそうに笑って「いつもありがとう」と両手で私の手を包んでくれた。
暖かかった。
初めて会う彼女はとても優しくて綺麗で、ラジオでの印象そのままだった。

外に出るのにまだまだ抵抗はあったけど、心斎橋のHMV以降も、アメリカ村の三角公園やフェスティバルゲートの新世界ブリッジってライブハウス、京都のイオンなど、ラジオパーソナリティの方が歌うと聞けば電車で行ける範囲ならどこへでも出かけた。
記事が出たと聞けば雑誌を買いに出かけて切り抜いてファイルに保存していた。

ひきこもりだった私は、ラジオパーソナリティの方に出会ったことで外に出る回数も徐々に増えていった。
そして、彼女が面白おかしく、時には苦しいと感じる外の世界で私も生きてみたいと思うようになっていった。


あの時ラジオパーソナリティの方に出会わなかったら、今の私はない。
そして、その時の経験や気持ちが今のでぃーぷしーの活動にも繋がっている。

当時、ひきこもっていた私を見つけてくれたこと。
否定せずに受け止めてくれたこと。
伝えきれないぐらいの感謝の気持ちを。
ラジオパーソナリティの方の番組は終わってしまったけど、私は死ぬまで忘れないだろうと思う。

あなたのような人間になりたい。
私はその思いで今もここにいる。

※こちらの文章は以前ブログであげたものに加筆修正を加えたものです。

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