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大学に行けなかった

こんにちは。
今回は、大学に行くことが出来なかった日の様子について。

タイトル写真は、今回のテーマとは全く関係のないユニバの風景。

では、本題に入りましょう。

大学2年生になり、2限から始まる日が増えた。

1年生の頃は毎日必修科目が1限にあったから、2年生になって随分朝に余裕が出てくるようになった。

少し早起きをして、まず身支度をすませる。

それから家を出る時間まで20分ほど勉強する時間を設けている。中高の頃から、朝に勉強するのが好きだったし何より集中できる。高校生の頃は朝早く学校に行って、友達と自習室に通っていたものだ。

ある日の事。その日も2限から始まる日だったのでいつも通り身支度をすませ、勉強をしようと勉強机の前に座った。

しかし勉強をしようと思いペンを握ろうとするもその気力が無いのだ。少しスマホを触ったら気が紛れるだろうと思い、何となくインスタグラムを眺めてみる。

しかし、「あ、今、私勉強できない」という直感があった。

まだ家を出るまで少し時間があるものの、荷物をまとめた。いつもは座れないのを覚悟で急行電車で行っていて、家を出る時間はその急行電車に間に合うように設定した時間である。


「いつもは急行電車で立って行くけど、今日は少し早く出て各駅停車で座っていこう」と思った。

母に家を出る事を告げると、いつもより早いのね。と言われた。各駅で行く事を告げ、だから少し早く出る事も告げた。

その途端。涙が溢れた。



こうなった経緯をお伝えしよう。

私はいつも寝ながら布団の中で肌を掻きむしってしまう。おかげでお腹や背中は浸出液だらけ。

そして出た浸出液が寝巻きに張りつく。(浸出液は糊のようなイメージだ。)その感覚が気持ち悪くかなりストレスなのだ。おまけに掻きむしっているわけだから良質な睡眠は取れない。

最悪という言葉がよく似合う。

それで朝起きると、今度は掻きむしった部分の皮膚がバリバリになっている。

1ミリでも動かすとかなりの激痛なのだ。朝起きると血液が身体を巡り始めるからか、より感覚も過敏になる。だから朝はかなり痛むし、同時に病みもする。(笑)

こんな夜と朝のいわゆる「嫌なルーティーン」はかれこれこの春ずっと続いている。

よし、ここまでの経緯をもとに本題に戻ろう。

その日の前日の夜はいつもに増して痒く、お腹と背中の皮膚が全て剥がれたのではないかというくらい掻きむしってしまった。

その分浸出液は大量に出るし、それが寝巻きにひっついてストレスだし、寝たのか寝てないのか分かんないような感じでぼやぼやしてるし、おまけに朝起きるとバリバリになった皮膚が激痛。

お手上げ、という感じ。(笑)

その日は本当にいつにも増して痛みが強く、何をするにも皮膚は動かさなければいないので、

「生きるだけで辛い。動きたくない。呼吸さえも痛い。」という感じだった。

後になって考えてみると、身支度を終えて勉強をしようと思っても手につかなかったのは、

きっといつもより炎症が酷くて精神的にも身体的も「限界」が来たからなのだと思う。

立ちながら泣いている私を抱きしめてくれる母。私はどうしても泣き止むことが出来なかった。 

母は学校を休んだらと言った。

その日の授業は苦手かつストレスのかかる科目ばかりで休めるものなら休みたいという思いがあった。

しかし同時に出席を重視する科目でもあったので欠席する事への不安感も拭えなかった。

一回休んだら、もう一生行けないかもという不安もあった。

鍼の先生から、実際に休学したり退学した大学生がいる事を聞いていて、自分もそうなってしまうのではないか、という思いもあったからだ。

母が淹れてくれた温かいお茶を飲みながら、「行こう」と決心をした。

あったかい、よもぎ茶。心なしか、すごく沁みた。

私を心配して祖母が最寄り駅まで車を出すよ、と自宅まで来てくれた。しかし私の心の奥底では「行きたくない。大学なんて行きたくない。」という思いがあった。

靴を履いて、行こう、と何とか勇気を振り絞った時、母が発した「辛かったらお家に帰ってくるんだよ。お家にね。」という言葉を聞いて、抑えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。

こんな泣いた顔で、キリキリと痛む皮膚の痛みを押し殺して我慢して、2時間かけて座れる保証もない電車に乗って通学して、苦手な科目を受けれる気がしなかった。そんな余裕も元気も、とっくのとうになくなっていた。

迎えに来てくれた祖母には申し訳ないが、結局その日は学校を休み家に居ることにした。

「今日できなかったことも、明日できるかもしれない。」と母は私を抱きしめて言った。私の、「もう一生大学に行けないかもしれない」という不安を見透かしているかのような言葉だった。

そんな言葉を聴き、その後は気が済むまで泣き、その後はぐっすりと寝た。不思議とぐっすりと眠れた。

次の日はなんとか学校に行くことが出来た。

今日できなかったことが、次の日はできた。

どうやら一生大学に行けないかもなんて、心配する必要がなかったようだ。

いや、きっと母がそう言ってくれなかったら私は一生行けなかったかもしれない。いつも私を気にかけてくれて大事にしてくれる母である。

さあ今回はここまで。
かなり重い内容でしたが最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。


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