僕たちは知らず知らずのうちに、奪う人になっているのかもしれない
「夢の叶えあいっこ」と言う相互支援のコミュニティーを作っている、たちおです。
「夢の叶えあえっこ」は、
夢を叶えたい人とそれを応援したい人をつなげるコミュニティです。
なにかにつけて
「良かれと思って」
という言葉を聞くと、少しだけ心がドキッとします。
僕は日頃より、「与える人(GIVER)」でありたいなと思いながら暮らしています。
それと同時に、自分が「奪う人(TAKER)」になっていないか注意しながらも暮らしています。
むしろ奪う人にならないように気をつけなくちゃと思いの方が強いかもしれません。
なぜかというと、
自分が「奪う人」になっていることに気付くのは、
とても難しいことだからです。
ここで出てくるのが「唐揚げレモン問題」ですね。
比較的大人数の飲み会で注文した唐揚げが、テーブルに届いた瞬間に、すべての唐揚げにレモンをかける奴!
そこのあなた!
あなたこそ「奪う人」です。
なぜ、「レモンをかける人」=「奪う人」なのか。
書いてみますね。
それは、
「本当はレモンをかけたくない人の気持ち」を全く考えていない。
ことです。
さらに言うとこの人は、
「唐揚げには、レモンをかけた方がおいしい」
と思い込んでいることです。
奪う人は、自分を中心に考えすぎちゃっているのだと思います。
「良かれと思って」とった行動が、結果的に相手にとって不利益をもたらすことは少なくないかもしれません。
唐揚げにレモンをかけた人は、
「本当はレモンをかけてほしくなかった」
と言われることはほとんどないでしょう。
本当に怖いです。
僕がなぜ、レモンをかける奴をこんな風に犯罪者扱いするか、
僕もかつては唐揚げにレモンをかけることがみんなのためと思ってやっていたからです。(例え話でなく)
かつての僕はたぶん、
「レモンをかけて欲しくなかった」
と言われていたら、
「ごめん」と言いつつ、
(せっかくかけてあげたのに、なんでそんなこと言ってくるんだ)
とへそを曲げていたかもしれません。
「良かれと思って」やることより、やらない事の方が大切な場面が多くあることに、
本当の意味で気が付いたのは比較的最近です。
知らずのうちに奪う人にならないためには、よく考えて行動しなければなりません。
そのために心がけている事は、二つあって、
一つ目は、
自分が良かれと思って行動する時には、
(たいていの行動は、自分が良いと思うからするのですが・・)
それは相手が求めていることなのかを確かめることです。
まずは、そういうアンテナを張っておくことと、
僕は直接相手に聞いてしまうことも多いかもしれません。
二つ目は、
(きっかけが「相手」になるので主体性がないですが)
自分した行動を注意された時に、
それを指摘してくれた人に対して感謝し、自身の行動を振り返ることです。
指摘してくれてありがとう。と
「それ違うよ。」と感じたら、また教えてほしい。と
できるならば一つ目の心がけで、すべて解決させたいですが、
指摘を受けることで、自身の「良かれと思って」に気付ける最大のチャンスをつぶしたくないです。
「レモンかけるのやめてほしかった」と伝える労力を想像できる人でありたい。
裏に隠れている
(こんなこと言いたくないけれど)
を想像できる人でありたいです。
指摘しくれた人の主張が、
合っているか間違っているかは、また別の問題です。
指摘してくれたことを感謝しつつ、
指摘を受けて、
自分は何をすれば、
あるいは、何をしない方がよかったのか
考え、レベルアップしていくことが重要なんだと思います。
人から奪って叶えた夢は、
その夢だけを切り取ると叶ったように見えますが、
叶えたその人は、次から支援してもらえなくなってしまいます。
これではプラスのつながりは広がっていきません。
プラスのつながりを広げていくには、
「与えること」と同じかそれ以上に、
「奪うこと」(マイナス要素)を排除することも重要だなと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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