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「亀井戸天満宮境内一覧」−藤だけでなく梅もたくさん?!−『銀世界東十二景』

今日一日コンタクトを裏表反対に付けていたのでゴロゴロしてしょうがなかったです。
帰ってからしかコンタクトを取れなかったので、ちゃんと洗浄液入りのコンタクトケースを持ち歩くようにしないといけないと感じました。

やっと裏表を直して通常の眼球になったのでパソコンにも向かえるようになりました。
さ、書きますか。
そんな目がゴロゴロだった今日も広重
今回は『銀世界東十二景』「亀井戸天満宮境内一覧」です。

国立国会図書館蔵

こちらも以前亀戸天神を扱ったときに見たものですね。
確かその時は橋の高さは果たして二階建ての高さと同じくらいなのか?という疑問のものと、さまざまな亀戸天神の絵を見比べていました。
実際は同じ高さではない可能性の方が高かったのである程度誇張したものであるとしましたが、実際に行くとやはり二階までは頭が届きそうなくらい背丈の高い橋であるものです。

今回は『江戸名所図会』での描写のされ方を見ていきます。
正直亀戸天神を描いた作品は以前たくさん見たので今回は伝承に焦点を当てます。

地誌での描写

『江戸名所図会』ではかなりの数のページを割いて亀戸天神を取り上げています。
一番如実な境内を描いたページがこちら

国立国会図書館蔵

『江戸名所図会』第七巻「亀戸宰府天満宮」です。
右ページにある大きめの橋のあたりは見覚えのあるそれで、やはり際立って背丈のある橋であることが一目瞭然ですね。
こう見ると境内は非常に広大ですね。
描かれているのはほんの一部に過ぎないことがわかります。

気になる本文を発見。


国立国会図書館蔵


国立国会図書館蔵

亀戸天神では「菜種神事」という行事が執り行われるらしい。

二月の二十四日に夜通し連歌を興行する。
次の日の二十五日の午後まで続き、のちに神前で梅の枝を打つ。
梅の花に関する歌を二十八首神詠する。
その夜、神司が松明を焚いてその灯りを照らしたまま池周りを歩き、大きな橋を越えて、社前に入ってそれを積む。
この工程は宰府の形を取っているという。

その様子がこちら。

国立国会図書館蔵

神前に持ってきて、それを積んでいるということは二十五日の夜ということでしょうね。
「梅松や あがむる数も 八百所」
宝井其角

という句が引用されています。

この句について、次のように述べられた論文がありました。


元禄十四年とあるのは其角の記憶違いで元禄十五年が正しい。菅原道真の八百年忌を江戸亀戸天神社で修し、その際詩歌連俳の会の興行があり、其角もこれに参加しての発句だという前書である。梅・松いずれも菅公ゆかりのもので、梅・松がここにかしこにと植えかえ、植え継がれて、それぞれに見事に育って花を咲かせ緑をたたえているように、菅公の徳をあがめての天神社もいたるところに見られる、という句であろう。八百所(やほどころ)はここでは数の多いの意で言ったものであろうが、同時に八百年忌の八百に因んでのもの、年も八百、数も八百の多き、の意。これだけの「いやさか」をことほいだ句であるが、この句は『類柑子』 (其角俳文・連句集、遺稿)にも載り、これにはつぎのような長文とともに載って、(後略)

https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/14898/1/kyouyoronshu_99_41.pdf
『其角と冠付』今泉準一(明治大学教養論集, 99: 41-70)1976-02-01


梅や松をたくさん植えて、そこから松明として焚いていたのですね。
八百所というのがその数の多さを表現する数でありまた、元禄十五年に菅原道真の八百年忌が執り行われたということにも掛かっているそう。その忌では連歌会も開催されたそう。
そして梅や松は菅原道真公ゆかりのものであるといいます。

つまり、亀戸天神に植えられている梅や松の数がとてつもなく多い、それと同じくらい、菅原道真公を崇め奉っている数も多いということですね。

こんなにちゃんと亀戸を歌った歌があったのは初めて知りました。
これまで亀戸は何度か扱いましたが、亀戸天神の伝承に焦点を当てたのは初めてでした。
しっかりと地誌も見てみるものですね。

今日はここまで!
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