『尾州不二見原』−桶の奥の富士、大人気の構図−『富嶽三十六景』
突然ですが、”美術検定”というものがあるのですね!西洋画も範囲に入るということで私には少しハードルが高いですが、3級からチャレンジしてみようかな、、。本屋に行くと必ず目にするから気になってたんです、、!今日公式参考書をAmazonで買ったのでコツコツ頑張ってみます。本はこちら↓
本題に入りまして今日は葛飾北斎の『富嶽三十六景』の『尾州不二見原』について深掘りしていきたいと思います!
ここの舞台は愛知県名古屋市中区富士見町付近(尾張国)という事で江戸から見る富士とは反対側の顔が見えているという事ですね。『富嶽三十六景』の中でも最西の作品でもあります。実際にはこの地から富士山は見えないらしいですが、当時は見えていたという事実にロマンを感じてならないです。。
あれ、参考にしている本、日野原健司さんの『富嶽三十六景』には富士見原という地名は存在していたものの、実際は聖岳という山を富士山と見誤ったものだったために実際には富士山は見えていなかったらしい、、。地名が紛らわしいです笑
実際に見えないということを知っていながらも自身の想像で富士を表したのですね。
この絵は通称”桶屋の富士”と呼ばれ、人二人分くらいあるであろう直径の桶と一生懸命作成している縮こまった男性のコントラストが大変この絵における存在感を放っています。
この絵、また手前のモチーフの下から覗かせていますね。北斎はこういった”あえて存在感を消して”法が好きなのか、富士を試しているのか、、笑
この絵もまた河村岷雪の『百富士』「窓円」の円い窓の向こうに見える富士山を眺めるという構図を参考にしていると言われています。
確かに構図としては似ている!けどどこかで他にもみたことある構図、、。
歌川広重の『江戸名所図会 浅草田圃酉の町詣』
いや、窓は窓でも四角いし柵にかかっちゃってるし、猫が一番目立たせるべきモチーフであると思いますがどうしても奥の富士に目がいく、、そんな心理も似てならない、、この『江戸名所図会』は1857年に歌川広重によって描かれたもので歌川広重は北斎か岷雪の影響は受けていそうですね。
日野原さんの『富嶽三十六景』には、この『尾州不二見原』にそっくりな絵が歌川広重の
”桶職人の周りに散らばる木槌や道具箱など、細かい部分までそっくりであり、広重自身、画中に「葛飾翁之図にならいて」と記しているので、北斎の作品を模倣したことは明らかである。”
とあり、作品名までは記されていませんが広重が北斎に倣っていた可能性はあるようです。
これかな?!作品名がわからない!
もどかしいけれども今日はここでおしまい!
明日も『富嶽三十六景』の次の」作品を勉強して行きます。