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「五百羅漢さざゐ堂」−螺旋を登って生命に謝す!−『名所江戸百景』
今日は本当に寒かった!手が動かなくなってしまうほど、、。
明日は今日ほど寒くないといいなあと願うばかりです。
そんな寒さに絶望した日も広重。今回は『名所江戸百景』の「五百羅漢さざゐ堂」です。
◼️ファーストインプレッション
ここを舞台にした絵画を以前やったのを思い出しました。
北斎の『富嶽三十六景』の「五百らかんさざゐ堂」です。
奥の富士山をまるで額縁のような構図で捉え、人々の視線の的にしています。さざえ堂というお堂を描いております。
『名所江戸百景』では富士山は描かれていませんが、お堂の舞台から見られることは『富嶽三十六景』でわかるのできっと舞台に立っている男性の見ている方向にあるのでしょう。
確かお堂の中がサザエのようになっていることからサザエ堂と呼ばれていたのを思い出しました。
お堂の向かい側に広がる草原が驚くほど広々としていることが印象的です。土地を開削して新たに田園を作るなどをせずこのままにしているのはななぜかと感じますね。
お堂の前の道で茶屋が設置されています。道の奥にも傘を持った人々が歩いているのでかなり交通の量が多い場所だったのですね。
また、この絵では木々の枝についた葉っぱがかなり細かく描かれているのが特徴的です。サザエ堂の周りの木々のリアル感を演出しているのでしょうか。奥の光景との対比でとてもはっきり見えますね。
◼️五百羅漢寺さざえ堂
以前北斎の絵を見たときにさざえ堂については少しだけ見ましたが、今回は堂内の仕組みについて見ていきたいと思います。
さざえ堂は、江戸時代には珍しかった三層(外観2階・内部3層)の建物です。江戸時代後期に関東~東北地方に見られた特異な建築様式のお堂です。らせん構造をもち、外観がサザエに似ていることから通称でさざえ堂(栄螺堂)と呼ばれています。
一つのお堂を参詣するだけで、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番の100ヶ寺を参詣したことになるというユニークな発想が人気を集め、建築ブームが起こり、関東から東北にかけて多くのさざえ堂が建設されました。
お堂の外観がサザエのように螺旋構造だからこのように呼ばれていたのでした。
このお堂に坂東、西国、秩父の観音像が安置されており、このさざえ堂の面白さに影響されて、全国で多くのさざえ堂が生まれたそう。
この五百羅漢寺は、安政の大地震で倒壊してしまったまま現存していないので写真などには残っていないのが残念なところです。現存してないとは言っても目黒に移行してその命は残っています。
上の記事には、この五百羅漢寺のさざえ堂だけでなく全国、世界の螺旋構造を持つ建築物について特集されていてとても興味深い内容でした!
◼️施餓鬼会
五百羅漢寺に参詣している人々の多さからして、ここで描かれている人々は施餓鬼会のために参詣していると言われています。
生前の強欲や嫉妬などの行いの報いとして、飲食(いんしょく)のままならない、常に餓えに苦しむ世界に堕(お)ちた衆生に飲食(おんじき)を施して救い、その功徳(くどく)を先祖供養のために振り向ける法要です。一般に「おせがき」とも呼びならわされています。修める時期に定めはありませんが、多くの地域ではお盆前後に勤められており、この場合はとくに「盆施餓鬼」とも呼ばれます。
飲食などの強欲に飢えた世界に堕ちた衆生に飲食を施す供養をする法会のことであるらしい!お盆前後にこの法会を修めていたので大体旧暦では七月ということだったのでしょう。
その法会のためにこの道を使ってお寺に参詣していたのでしょう。それを狙って道端には茶屋が立ち並んでいて涼むのにもちょうどよかったのでしょう。
今回は五百羅漢寺とさざえ堂について、施餓鬼会についても見てきました。
今日はここまで!
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