人間好きな私が、人間嫌いになるとき
おはようございます。
関空までの電車の中で綴っています。
表題でもあったように、
「人間好きの私が、人間嫌いになる瞬間があります」
それは、自分のことが嫌になったとき。
情けなくなったとき。
仕事で自分の思ったようにいかなくなったとき。
自分勝手ですよね。
でも、そんな時に「あー。そもそもそれって私がすることなん?」
そもそも、、!と考えてしまうんですねー。
(ムツゴロウもそんな言い方するよな)
オオトリアイという人間は、
理不尽な事がとても嫌いで、平等を愛する。
でも、得が好き。そんな安定を求めつつ
抜け道ができるとスッと行ってしまう。
中学生の時、不登校の子がいた。
その子は中学生二年生の時に来なくなった。
その子はバスケ部だったので、キャプテンだった私は彼女と連絡を時々取っていた。
3年になり、受験勉強がだんだんと始まった。
私はその子に色々教えてあげた。
私が行きたい高校のことやその対策の話。
私のプレゼン力が素晴らしかったのか、
その子も、同じ高校を受験していた。
知らなかった。
結果、私は第一希望の受験に落ちて、
その子は見事合格…。
しょうがない!私の責任でしかない。
そらぁ、そうや。あの子頑張ってたもん!
自分は基準以上のことができてなかったんや。
そんなことを考えていたら、
受験に落ちたその日、一通の手紙が届いた。
「わたしだけ合格してごめんね」
その子からだった。
直接ポストに入れてくれたみたいだ。
その時は、「は?ほっといてくれよ。」
「エゴだけで行動せんといてや。迷惑やわ」
っで思ってた。
結局、私は滑り止めの私立高校へ入学して楽しく過ごしていた。
ちょうど夏休みに地元の子と会う機会があり、
その子の話をしようと思った。
「実は…。」
言いかけた時、気づいた。
嫌いかも。
その子に対して未だによく覚えている
自分も嫌だし、
その子がとった幼稚な謝罪も嫌。
この出来事を話した時に、
「えー!ひどっ!」と他人に思わせて
囲み取材させようとするような私の行動。
全て嫌になった。
でも、その嫌の半分以上は自分の気持ちが整理できていない。
他人のせいにしてしまっているから、
一向に進まない。
前に向けない。
そんな自分のことが嫌になった。
自分のことをもっと愛そう。
愛してあげよう。
今まで誰かから愛されていた分、
自分自身で愛することをしらない。
すぐ人を求めてしまう。
人を好きになる事は、
同時に出来ない自分を認めてあげる事だと
29歳になってやっとわかった。