191 十二月十八日、災害ボランティアのため北陸へ
正確には金沢で一泊して19日と20日を活動に当てたのですが、今回は八王子社会福祉協議会名義での参加でなかったので大変でした。つまり作業の割り振りが輪島たすけあいセンター任せだったので、重労働でも文句言えないということで。第一日目は輪島塗のバケツリレーだったので無難にできたのですが、二日目の土砂掻きは選んだスコップが重かったこともあり、四苦八苦したのでした。
計画も意外に詰めが甘く、午後3時ごろ高尾駅から京王線に乗ったのですが、駅前を散策する時間的余裕がありませんでした。そして翌日、集合場所が金沢駅前とともに石川県庁とも書いてあったため金沢駅で待っていいか判断付かず、タクシーで県庁まで乗せてもらったのでした。そしたら金沢駅前にも寄り、そこは能登半島地震の災害ボランティアでお馴染みの待合場所だったのでした。
そして輪島までボラバスに乗車。乗客は私を入れて六人。勿論拠点に行けば人数は増えると思いましたが、それにしても少ないと思いました。そして道路事情。前回中止になったボランティア活動から整備が進んだか、今までで一番ましなルートでした。もちろんガタゴトは相変わらずあるし細々とした迂回ルートもあるのですが、被災地基準で見ていた私からすれば上々の道路事情と思えました。
これならダークツーリズムも出来るのではないかと。これまでの訪問先は個人宅が多かったけど今回の一件は輪島塗の工房で、拠点となった場所も輪島塗関連の施設で、震災の傷跡がまだある場所でした。実は輪島たすけあいセンターの人から報道が少なくなっている(というか殆ど報道ナシ)現状なので、もちろん個人のプライバシーを配慮した上ですが、むしろ今の状況をバンバンSNSに挙げてくださいと言われていたのです。また作業してくれれば大変さが分かるから、良心的な記事を書いてもらえるという目論見もあるだろうし。でも一方で(日々移り変わる)観光資源として活用する手もあるのではないか? たとえ物見遊山な野次馬根性の記事でも読者次第で貴重な情報になるはずだから、それは行政を治める言葉の正確な意味での政治になり得ると思うので、一考に値すると思ってて。
どうも今日は実際の作業は書けない。体力は回復しても記憶を再構成する脳作業は全快でないみたい。それもそのはずで、20日に作業を終えて帰路に就いたけど自宅に帰れたのは〇時14分。ギリギリその日のうちに帰れなかったのです。そしてそして、床に就いたのが33分で、ベッドから起き上がったのが14時53分。
気が張っていた時はわからないですが一旦気が緩むと疲れが自覚され、身体を休めるのに一日の半分以上が必要になったのでした。(大塩高志)