217 一月十六日、今年最初の能登入り
元旦の能登半島地震を受けて行動が能登行きが中心となった昨年、締めくくりの最終日の十二月二十日以来、今年初めてのボランティアのために先週の木曜日に金沢入りしました。今回は昨年の窮屈なスケジュールを反省し、正午に会社を後にし昼食を食べて金を降ろし、京王線(高尾線)に乗りました。
そして金沢までは順調だったのですがホテルがなかなか見つからず、思ったほど時間の余裕がなくて駅ビルで8番らーめんを食べたら早々にホテルに帰りました。また作業用にリュックに詰めた長靴が重く、余計な体力を使いたくなくて駅ビルを含めた散策を諦めました。
そして睡眠時間を七時間とるため就寝は午後十一時半。予定通り午前五時半に起きれました。事前に買っておいた総菜パンを二個食べてホテルを出る。今回の格好も前回と同じく外見は合羽の上下。上半身はその下に裏地のある少し厚手のジャンパー、厚めのポリエステルのシャツにランニング。下はコーデロイのズボンに薄いトランクス。しかしこの日の朝はことのほか寒く、リュックが重いのに座って待つことが出来なかったです。
ボラバスを待っている間にもボランティアの同志が次々と集結し、最終的には36人が乗車したそうです。でもこれはそれほどめでたいことではなく、ボランティア活動のための拠点が三か所から一か所に減ったためもあり、輪島市のマンパワーの問題もあるのでしょうが、ボランティア活動がなかなか終わらないと想像できる出来事でした。
そして輪島市までの長いバス旅ですが、私が居眠りできるほどでした。つまりひどいアップダウンも度々の脇道もなく、外を見て現状を確認するよりも自分の体力温存のために気を遣うことができました。
到着したのは前回の海辺のキリコ会館でなく、朝市通りを横切り横倒しのビルを過ぎ、一回目、二回目でお世話になったワイプラザ輪島。受け入れ体制に不備があったか降りようとするところに輪島たすけあいセンターの人が乗ってきてオリエンテーションしようとしたのですが。
それは私の一回目の輪島ボランティアの方式だったのですが、結果的に降ろしていただいて受付へ。しかしキートンの電子受付のはずがQRコードが見当たらず、案内して頂けたのは机に大きく張り付けてある四角の模様だったのでした。
その次がオリエンテーション。前回体力的にひどい目に遭った十二月のボランティアと同様、プライバシーに配慮した上で撮影とSNSにアップは、被災者の了解が取れればむしろお願いしたいという趣旨を言われました。
その次がボランティアの割り振り。テンポ良く次々と決まっていくので出遅れ、やっと手を上げることが出来たのが20人規模の泥出しのお仕事。能登豪雨直後の八王子社協で参加した私にとって二回目の輪島ボランティア以後、三回続いての水害対応となりました。
もちろん今回に限っても震災対応はあったので、何かの縁と思った次第。(大塩高志)