受粉
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村上くんに彼女がいることを知ったのは、ふたりとも早番上がりで「軽く飲んでく?」と寄った先のバルのカウンターで、どの動画配信サービスを契約しているかをお互いに言い合っていたときで、村上くんが「僕はアマゾンプライムと、Huluと……あとNetflix。や、Netflixは彼女のか」と言ったそのときだった。
なんだ彼女いるのか。
口には出さなかったけど、それに、全くそこには食いついたりしないでスルーしたし、なんにも気にしていないフリをしたけどやっぱり、なんだ彼女いるのかって思った。
別段、村上くんのことを特別に好きだったわけじゃない。ノリはいいけれど、感性がぴったり合う感じではないと思っていたし。
それでも、目の前の男の子がじぶんじゃない誰か別の子を好きなことがわかることほどつまらないものはない。もう帰りたくなっていた。
恋愛映画も恋愛ドラマも、主人公の女優が美しすぎたり可愛すぎたりすると、彼女が報われない片想いに身を焦がしているまではよくても、相手が彼女に振り向き始めた途端、ムカムカと嫉妬してならない。彼女にも、相手にも。
中身も外見も、恋や性愛の対象として見られにくい私はいったいどうすればよいのだろう。
「努力する」or「諦めてありのままを受け入れる」
それぐらいしか思いつかない。
だから今は、そろそろ遅番の勤務が終わる堀口くんをこの場に呼び出すことにした。私が知る限り、堀口くんには彼女がいない。
*
遅番を終えて店へ駆けつけた堀口くんは、「ふたりに追いつかないと」とビールを一気に飲み干した。
そしてすぐにお代わりを注文すると、「なんの話してたんですかー?」ともう目を細めてほろ酔い気分で尋ねてきた。堀口くんの頬はぴかぴかしていた。
村上くんが笑いながら「ホーリーの噂話」と軽口を返す。私も合わせて「そうそう。最近はどうなの?」と続けた。
すると堀口くんは2杯めのビールを受け取りながら、「聞いてくださいよ。元カノとこの前再会してちょっと困ったことになってるんです」と身をかがめ、グラスを両手で囲い込んだ。
「彼女、ホント不思議な子で。大学のときの同級生で、当時ちょこっと付き合ったんですけど、なんだかすぐにフラレてしまって。それ以来だったんですけど、この前偶然に再会して。で、少し話したらやっぱ好きだなって思っちゃって。メシ誘って行ったりしたんですけど。でも彼女、相変わらず不思議っていうか、掴めないっていうか……神秘的? っていうんですかね。特別過ぎて。ホントどうすればいいかわかんなくって。なんなんですかね、彼女?」
とうとうと彼女について語る堀口くんがひと息ついたところで、私はたまらず言ってしまった。
「なんなんですかね、って。どこにでもいるフツーの女だよ」
*
地下鉄で帰る村上くんとは店の前で別れて、堀口くんと私はJRの駅へ向かって歩きだした。
さっき堀口くんへ放ってしまった言葉は嘘ではなかった。
でも、あんな風に言うべきじゃなかった。
「さっきはごめんね。悪酔いした。反省してる」
謝ると、堀口くんは「いいんすよー全然」と笑った。
堀口くんの元カノも私も、同じ女だ。どこにでもいる普通の。
ただ、その元カノが「不思議」で「神秘的」で「特別過ぎる」のはただ、堀口くんが彼女を好きだからというだけだ。
私と彼女に優劣の差なんて、ない。
……そう思いたかった。
「彼女も堀口くんのこと、好きだと思う。だからまた、会いなよ」
弁解するように彼の背中を押した。
「そうっすかねー。だとマジ最高、なんすけど。霜鳥さんがそう言うならそうしまっす!」
さっきよりも笑顔になった彼の横顔を見ながら、スクリーンや画面の中で恋する男子を見るいつもの気持ちが甦った。
「いいなあ両想い。私もどうしたらモテるんだろう?」
ついどうでもいいことを口にしてしまった。
「霜鳥さん、モテたいんすか? だったら簡単っすよ」
「言わないでっ」
堀口くんが続けて何か言いかけるのを、人生最速と思われる反射神経で遮った。
どうしたらモテるのか、しかも簡単に。
そんなの、聞きたくなかった。すごくイヤな予感がした。
改札を抜けたところで堀口くんと別れた。
誰かを想っている眩しい笑顔がこちらに大きく手を振っていた。
こういうとき、胸の内側がきゅうと引っぱられるような感覚がするのはなんでなんだろう。
*
エスカレーターでホームに上がりながら、家に帰ったら思いっきりカップヌードルとアイスクリームが食べたいと思った。
私を満たし、甘やかしてくれるもの……思いつくのは、そしていまの私が手に入れられるものは、それくらいだ。
だけど、その日はなんだか、コンビニには寄れずに帰宅した。
マンションのエントランスに着くと、ひっくり返ったカナブンが起き上がれずにジリジリとしていた。
一瞬通り過ぎてしまったけれど、ひと晩そのままジリジリとし続けるだろうカナブンを想像したら忍びなくて、引き返して指先で戻してやった。
───するとどうでしょう。悪い魔女にカナブンに姿を変えられてしまっていた王子様が元の姿に戻り永遠の愛を誓い……なんてワケは勿論なくて。
ただ私はそのカナブンが。どこへでも好きに飛んで行って、たくさんの花の受粉を手伝って、そうして咲いた花たちにもしかしたら、今日の私みたいな誰かが、なにかいい気持ちで満たされて、鼻腔いっぱい蜜の香りに甘やかしてもらえたら、それがいいなと思った。
fin.
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