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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ。面白かったので1,2ぶっ続けで読んでしまった。
イギリス・ブライトンに在住しているブレイディみかこ氏のエッセイで、息子さんの学校生活を通して見えてくる社会問題を描いた作品だ。
イギリスの教育事情や、経済・生活事情について、様々なエピソードが書いてある。人種差別についても触れており、「東洋人だから、差別されました」みたいな薄っぺらな部分だけではなく、どんな生活を送っている人がどうして差別的をしてしまうのかということを深く切り込んで描いている。
特に印象的だった箇所が1つあるので紹介する。
1巻 13 いじめと皆勤賞のはざま
息子さんの友人ダニエルは、ちょいちょいレイシスト発言をしてしまうことで、同級生の顰蹙を買い、いじめられている。そういった発言を除けば、ミュージカルが大好きで気が合う良い友人であるのだが、ダニエルもいじめを受けることで、逆の反骨精神(?)のようなものがはたらき、レイシスト発言をSNSにアップロードしたりして、いじめがエスカレートしている、といった内容である。この話を知ったみかこさんが「人って弱い者いじめが好きだよね」と言ったのに対して、息子さんが「いじめが好きなんじゃなくて、罰するのが好きなんだと思う」と返したのが心に残っている。
というのは、小学生の頃のいじめを思い出したからだ。私は幸い、見た目や出身地などが原因で、いじめられている人を見たことがあまりない。いじめが始まるきっかけは、
「鼻くそをほじって食べていた」
「トイレから出るとき手を洗っていなかった」
などだったと記憶している。確かに不衛生ではあるのだが、鼻くそを食べた手に触っても病気にはならない。しかし、それを見た誰かがその子が触ったものをあとで触らないように呼び掛けたり、菌を回したりしていた。それがエスカレートすると、「いじめ」として成立していたのだと思う。当時、この本に書かれているほどの深い差別があったようには思えないが、行動や発言を「罰する」に近いものがあったと考える。
人は、間違いに対して過剰に批判し、罰してしまうことがある。間違っていたとしても、罰によって負う傷が大きすぎる。昨今のメディアの不倫報道などから派生するSNSの炎上などもその1つだと思う。正しいければ人を傷つけてもいいかというとそれは違うのに、どうしてこんなことが起きてしまうんだろうと思っていたが、それは「人が罰することが好きだから」というのが腑に落ちたので、ここに残しておく。
コロナで海外渡航が難しくなって久しいが、現代のブライトンのリアルな生活がわかる本でもある。数年後に読み直した時には、世界がよくなったな、と思えていますように。