走るって楽しいよね?
オホーツク。です。
今日は高校時代から思っていることを書きます。
走ること【=長距離走=マラソン=ランニング】は
楽しいことだよということです。
なぜ、これを言いたいのかというと…。
世間に長距離走=辛く、苦しいものというイメージが蔓延りすぎな気がするのです。
マラソンブームと言われて久しいのに、です。
箱根駅伝は相変わらず人気なのに、です。
なんででしょう?
高校時代、陸上部長距離ブロックに所属していた自分の経験上、
まあーそれはそれは多くの人から
「そんな長い距離走って飽きないの?」とか
「よく走れるね」
「よくやってられるね」
みたいな言葉をかけられました。大抵こうした言葉が持つ響きに、「私には到底できないことをあなたはやっているからすごい!」といった尊敬の念なんて微塵も感じられませんでした。まあ、尊敬してほしいなんてそれこそ微塵も思ってないですけどね。
ここで言っておきたいのは距離が長い方が苦しいというのは誤解だということです。もっと言えば、短距離や中距離とは苦しさの質が違うということです。400m走ほど苦しいものはないと個人的には思うのですが…。
さらに言うと、長距離ランナーは苦しさに耐え忍ぶ修行をしているわけではないのです。短距離走が速かったら短距離走だってやってますよ、僕だって。でもね、短距離はそんなに速くなかった。他方で長距離は適性があったんですよ。この適正って、タイム以外にも性格とかも関係していると思うんですよね。短距離走はほんの十数秒の間にすべてを出すことが求められますが、長距離走は駆け引きです。どこで仕掛けるのか、他の選手の様子はどうか、足が残っているのか…。いろいろ考えなくてはなりません。
結局向き・不向きのレベルでしかない。で、向いているものの方ができる(結果が出る)から楽しい。それだけのはずです。それを距離やかかる時間(拘束される時間?)しか見ないで、苦しいor苦しくないで語るのは、長距離ランナーにも短距離ランナーにも失礼極まりないのではないでしょうか?
ただ、僕が本当に言いたいのはそんなことじゃなくて。もし、これらを理解してほしいというなら、もっと伝え方を工夫するでしょうし、第一どんなに話をしたところで興味のない人からは理解を得られないものと覚悟をして挑むはずです。また、理解を絶対に得られるようにする労力をかける必要もないでしょう。軽く受け流せばよいのです、これまで通りに。
(もちろん、ここまで読んだ方は気にかけてくれると嬉しいですが)
僕の一番言いたいのは、走ることが他の場面において罰として用いられすぎた結果、人々が走ることを楽しめなくなっているのではないか?ということです。
考えてもみてください。どの部活であろうと、体力づくりと称して走ります。走らせます。短かろうと長かろうと走ります。野球部、サッカー部、バスケ部、テニス部、バドミントン部、なんなら吹奏楽部や合唱部も…。みんな走ります。
体力づくりまでならまだしもいいでしょうが、これが部活の和だとか、集団責任論だとかと結びつけて「罰走」という形を取るとよろしくありません。完全なる罰なのですから。最近では体罰に対する見方が厳しくなり、根拠なき練習は減ってきていると思いますが、名残はまだあるのではないでしょうか?
なぜ、罰の形として走ることが挙げられるのでしょう?校庭10週とか、外周5週とか。その競技特有の練習じゃダメなんすかね?よくわかりません。もちろん、罰としての練習はどんな形であれ安易にやるべきものではありません。かといって、反省文を書くといった行為も結局内発的な反省を促さないならば何ら意味はないでしょう。
それはさておき。
この「辛くて苦しいもの」というイメージを長距離走に対して植え付けられたのは、何とも迷惑な話です。
走ることは元来楽しいもののはずなんですから!
小さい子どもたちなんて、誰も頼んでいないのにとにかくよく走っているじゃないですか(笑)
でも、これは意外に大事な視点のような気がします。
小さい子どもたちは誰一人として時計を気にしてランニングをしていないのです。一定のリズムを刻んで走ってなんかいないのです。ただ楽しいから、友達と追いかけまわるのが楽しいから、ちょうちょを追いかけたいから、先の世界を知りたいから走っているのではないでしょうか?
これを大人(中高生以上)も意識してみるといいのではないでしょうか?ファンランという言葉もあります。タイムを気にしないで走る。旅ランという言葉もあります。僕はこれが大好きです。ブラタモリのランニング版ってとこでしょうか?いつもの風景も速度が変われば違って見える。その違う景色を楽しむために走ってみる。
走ることは楽しい。
苦い記憶がある人も、楽しく走りませんか??