ダブルピースのその先に
この気持ち、ダブルピースじゃ表しきれねえよ!というとき、どうすればいいのだろう。溢れ出る幸福感を、僕はどうすれば表すことができるのだろう。
足でもピースする?いや、指の構造上難しい。訓練すれば不可能ではないかもしれないけれど、ぱっと見でピースと認識できるレベルに行くにはそもそも指の長さが足りない。何度も何度も挑戦し続ければ何十世代か後には指が伸びているのかもしれないが、今は無理だ。僕は今、この瞬間にダブルピース以上の気持ちを表したいのだ。
口で「ピース」と言う?いや、やったとしても両手でピースをしていることを口頭で説明しているようにしか見えないだろう。しかも口でわざわざ「ピース」と発音できているというのはある意味それだけ冷静であるわけで、幸福のあまり思わずダブルピースを繰り出している状況とは矛盾した行動である。あ、それくらい落ち着いた精神状態なんだな、という印象を与え、ダブルピースで表現できる気持ちさえも目減りさせてしまう恐れがある。
「ピース」と書かれたTシャツを着ておく?いや、それではベースが1ピースの人になってしまうだけだ。そこからダブルピースしたところで結局ピースの数が+2になるということだから、効力としては普通のダブルピースと同じである。ダブルピースするタイミングでTシャツを着ればいいが、瞬間的な気持ちの高まりを表現するにはややテンポが悪い。もたもたと着替えているうちに熱は冷め、準備が整ったときには通常ダブルピースで事足りるくらいの幸福感に落ち着いている可能性が高い。
両手を高速で動かして、残像でたくさんのピースを見せる?いや、そんなことをしたら「すごい!」が先に立って、幸福感が伝わりづらくなるだろう。そもそも残像が出るくらい手を高速で動かせるようになるには、厳しい修行が必要だ。学生時代を帰宅部でぼんやりと過ごしたような人間には、とてもじゃないが耐えられそうにない。
これは困った。現状、ダブルピース以上の気持ちを表す方法を僕は持ち合わせていないのだ。ああ、僕が千手観音だったなら、1〜1000の間で幸福の度合いを表現することができるのに!そんな無い物ねだりをしたところで現実は変わらない。訪れた巨大な幸福に対して、僕には何も打つ手がないのである。
ただ一つ救いなのは、ダブルピースでは表しきれないほどの幸福を感じる出来事というのはそうそう起こり得ないということだ。よくよく考えれば、これまでの人生でも幸福のあまり思わずダブルピースしてしまったという経験は一度もない。僕は、「いっちょここらでダブルピースでもやっとくか〜」と思った上での、意識的なダブルピースしかやったことがないのである。
だから、ダブルピースでは表しきれない気持ちをどう表現すればいいのか、というのは要らぬ心配なのかもしれない。もし万が一そんな状況が訪れたとしたら、そのときはそのときだ。なるようになるさという気持ちで流れに身を任せればいいだろう。
もしかしたら、嬉しさのあまり頭がぱっくりと二つに割れ、中から第三のピースがニョキニョキと生えてくるかもしれない。そのときは、自由に動画とか撮って、TikTokにあげるなり、夕方のニュース番組に提供するなり好きにしてください。